屋久島六角堂便り~手紙

自然と人が織りなす屋久島の多様性を屋久島六角堂から折々にお伝えします

屋久島 Pork Song 第1回 mori cafe ビタミンB1尽くし 私は今日まで 生きてみました

拝啓

 

事の発端は島の春の珍事、ちょっとした事件。

雪苔屋さんとtamacafeさんは3日~19日

smileyさんは9日~19日

nomadcafeさんは22日まで

Kiinaさんは月末までお休み。

おまけにnaa yuu cafeさんの「冬季休業」はGWまで。

なんと、知る限り島で知られた六つのカフェが来週一軒もやっていないという事実。

 

どこかのお店が何かしらの事情でお休みしていても、

どこかしら開いていてお茶が飲めるのが島の春のはず。

いったいどうやってこれから十日過ごせばよいのかと思案。

 

そこで思い出したのが、

この半月ほどの間に頂いた三つの料理。

 

その一番目は宮之浦のやまがら屋さんで頂いた豚料理(名称失念)。

屋久島うどんドン 第1回 北のヤマガラ 南のオアシス 女将の出汁の温かさ - 屋久島六角堂便り~手紙でご案内した天麩羅うどんに添えていただいた一品。

アグアグしながら「ああ、豚ってやっぱりいいもんだな」と。

 

そして二つ目は、

先月『屋久島丼紀行』でご紹介した栗生の松竹さんの「豚しゃぶ丼セット」

屋久島丼紀行第68回 もはや初夏の屋久島で 豚しゃぶ丼に先々への思い 栗生 松竹 - 屋久島六角堂便り~手紙

盛り上がる豚しゃぶに少しく元気を頂きました。

 

そして三番目に、

小瀬田(長峰)の mori cafe さんで頂いた豚丼

店内満席だったので、外に置いてある丸テーブルと長椅子を滑走路際に置かせてもらって「いただきます」と数口頬張れば、

JAC福岡行き直行便の飛び立つ姿が豚丼の向こうに。

飛んでる、トンデル、豚出る……とあほらしく感動。

 

思えば九州・南西諸島は豚とゆかり深い地。

養豚の歴史 | 一般社団法人日本養豚協会 (jppa.biz)によれば、

「日本書記」(西暦600年代)には、大陸から渡来した人の家で猪(豚)を飼養しているとの記述があり、
仏教伝来により食肉が禁止された後も琉球(沖縄)では養豚が営々と。
江戸時代の鹿児島県では肥料を取るために豚を飼養したことが記録に残っており、
大正10年ごろには長崎(南蛮)料理から普及したトンカツが浅草の大衆食堂ではやり始めたとのこと。

そして太平洋戦争後、

九州各地で生まれた博多・久留米・鹿児島ラーメンのスープは豚骨ベース

 

豚肉に含まれるビタミンB1疲労回復に効果大だとか。

行き所のなさを埋めてくれるのは🐖かも……と。

 

そこで改めて伺ったmori cafe さんで頂いたのが「豚生姜焼きバーガー」

りっかりのバンズにたっぷりの具材。

季節の新商品「桜レモネード」との相性抜群でした。

 

そしてまた、次に伺った時に頂いたのは「ポークカレー」

添えられた抹茶小豆の甘味で和みます。

 

お店の柱に張られた蘇民将来子孫也」の御札は伊達じゃありません。

蘇民将来の故事にならって、

旅に彷徨うものを温かくもてなす者に幸多かれ。

 

ちなみに愛知県の津島神社や長野県の信濃国分寺八日堂、

神戸の祇園神社の護符は六角柱のこけし

建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)=アマテラスの弟スサノオを祭り、蘇民将来の護符を授けて下さる椨川神社と提携し、

オリジナル六角こけし護符を島のビタミンカフェで発売していただくのもありかと。

 

話は横にそれましたが、

更にそれれば、

九州ゆかりの歌手・芸能人・アーティストは数知れず。

そんな中、1946年鹿児島県伊佐市生まれで、

一世を風靡したフォークソングシンガーが吉田拓郎

彼が1971年に発表した曲が次の曲。

 

「今日までそして明日から」

私は今日まで 生きてみました
時には誰かの 力を借りて
時には誰かに しがみついて

私は今日まで 生きてみました
そして今 私は思っています
明日からも こうして生きて行くだろうと

私は今日まで 生きてみました
時には誰かを あざ笑って
時には誰かに おびやかされて

私は今日まで 生きてみました
そして今 私は思っています
明日からも こうして生きて行くだろうと

私は今日まで 生きてみました
時には誰かに 裏切られて
時には誰かと 手をとり合って

私は今日まで 生きてみました
そして今 私は思っています
明日からも こうして生きて行くだろうと

私には 私の生き方がある
それは おそらく自分というものを
知るところから 始まるものでしょう
けれど それにしたって
どこで どう変わってしまうか
そうです わからないまま生きて行く
明日からの そんな私です

私は今日まで 生きてみました
私は今日まで 生きてみました
私は今日まで 生きてみました

www.youtube.com

なぜだか mori cafe の豚を頂きながらこの曲がどこからとも流れて来たようにも。

その吉田拓郎は2022年、全ての音楽活動から引退する意思を表明。

彼は明日からどう生きていくのでしょう。

 

と言う訳で、

ブログの新企画『屋久島 Pork Song』のスタ-トです。

いつまで続くか知らんけど。

 

なお、同じく始めた屋久島うどんドン』も姉妹企画です。

屋久島うどんドン - 屋久島六角堂便り~手紙 (hatenablog.com)

 

敬具