屋久島六角堂便り~手紙

自然と人が織りなす屋久島の多様性を屋久島六角堂から折々にお伝えします

突端のニャーに背押され春にたつ

拝啓

立春前。

ニャーがデッキの木枠に登って、

彼方を見つめる日が増えて参りました。

突端にニャー眺め居り水平線

 

眺めているのは海なのか空なのか。

コントレイル の無音の響きに耳を傾けているのか。

 

同じく彼方を眺むれば、

荒井由実の「ひこうき雲」が聞こえてきます。

 

白い坂道が 空まで続いていた
ゆらゆらかげろうが あの子を包む
誰も気づかず ただひとり
あの子は 昇っていく
何もおそれない そして舞い上がる

空に 憧れて 空を かけてゆく
あの子の命は ひこうき雲

高いあの窓で あの子は死ぬ前も
空を見ていたの 今はわからない
ほかの人には わからない
あまりにも 若すぎたと
ただ思うだけ けれどしあわせ

空に 憧れて 空を かけてゆく
あの子の命は ひこうき雲

空に 憧れて 空を かけてゆく
あの子の命は ひこうき雲

 

そういえば、この朝。

ニャーはまたヒヨドリを捕まえて勝手口にお供えを。

(ご画像は割愛)

 

留守番中は自分のご飯にしているのでしょうが、

常はもっぱら猫としての精進に励んでいるものと思っておりました。

 

しかし高みで頭を垂れるニャーの姿は、

何やら弔い、祈りのようにも。

突端に弔うニャーの春霞

 

飛べないあたし。

泳げないあたし。

生まれてこの方半径100mを越えたのは、

車に揺られて子を産めぬ身になった時だけのあたし。

あんたら空から引き摺り下ろし、

羽毛をむしってやる。

そうして苔の上で眠らせてやる。

あたしはどうしようもなく猫だから。

あんたら鳥はどうしようもなくあたしの生贄。

命を掛けて遊んでおくれ。

 

振り返ったニャーが目で誘うのは、

高みから世界を眺めることか。

ニャーは人にそれを求めず。

突端に今日見つめたりニャーの春

 

あんたはどうしようもなくヒトなんだろ。

二本の足で行っといでよ。

 

時計の時間で満九歳と満六五歳。

違って流れるネコの時間とヒトの時間。

年の差は日々縮まって、そろそろニャーは年上かも。

ならば粛々教えのままに。

 

オンボロロ 喉を鳴らされ 旅に立つ

 

 グルグルゴロロロロ

オンボロロロロ

喉を鳴らしてまたじっと。

見つめているのは、

昨日でも明日でもなく今日の海と空。

 

北原ミレイが歌う、なかにし礼『石狩挽歌』を口ずさんでいるかのよう。

 

海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると
赤い筒袖(つっぽ)の やん衆がさわぐ
雪に埋もれた 番屋(ばんや)の隅で
わたしゃ夜通し 飯(めし)を炊(た)く

あれからニシンは
どこへ行ったやら
破れた網は 問い刺し網か
今じゃ浜辺で オンボロロ
オンボロボロロー

沖を通るは 笠戸丸(かさとまる)
わたしゃ涙で
にしん曇りの 空を見る


燃えろ篝火(かがりび) 朝里(あさり)の浜に
海は銀色 ニシンの色よ
ソーラン節に 頬そめながら
わたしゃ大漁の 網を曳(ひ)く

あれからニシンは
どこへ行ったやら
オタモイ岬の ニシン御殿も
今じゃさびれて オンボロロ
オンボロボロロー

かわらぬものは 古代文字
わたしゃ涙で
娘ざかりの 夢を見る

 

と言うわけで、

 

また、ほんのしばらく旅に出ます。

船尾より茫洋の春見渡せり

 

つづく