屋久島六角堂便り~手紙

自然と人が織りなす屋久島の多様性を屋久島六角堂から折々にお伝えします

神仏を争いし跡 詣でけり

拝啓
 
謹賀新年
 
本年も屋久島六角堂コテージ、香草食堂スパイシーブックカフェ・イートハーブをご愛顧下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。
 
さて、何とも気が抜けるほど正月気分が感じられぬ屋久島です。一番の正月らしさと言えば、なじみの飲食店やAコープが休業していることでしょうか。そして、フェリーも高速船も欠航する冬の荒天。
 
そんな中、お節をごちそうして下さった知人から、以前から気になりながら場所が分からず行くことのなかった麦生の神社の場所を教えて頂き、霰交じりの小雨を突いて初詣でに行って参りました。
 
麦生集落には以前ご紹介した恵比寿さんの祠の他に三つの神社があり、今日はその内の二つ、弓矢八幡神社と大山祇神社にお参り。
 
まずは弓矢八幡神社。ご祭神は誉田和気命(ホムタワケノミコト)。国家鎮護の神様です。
 
神社の脇には大きなガジュマルが天を突いています。
 
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その裏の山手に大山祇(おおやまづみ)神社。ふかふかの苔の絨毯のような参道を上がっていくと鳥居があり
 
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その先の階段の先に祠があります。
 
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ご祭神の大山祇命(おおやまづみのみこと)の娘が木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと=富士山の神様)。天照大神の孫である邇邇芸命(ににぎのみこと)と結婚し、産まれた子供が屋久島の神様、火遠理命(ほおりのみこと、正式名称は天津日高彦火々出見命:あまつひこひこほほでみのみこと)とのこと。火遠理命は山幸彦(やまさちひこ)とも呼ばれ、古事記に登場する「海幸彦・山幸彦」の物語の主人公。
 
そこで、火遠理命を祀る原(はるお)集落の益救神社にも足を延ばしてお詣りしました。益救神社は元々、屋久島中央部の三岳(宮之浦岳・永田岳・栗生岳)の神を祀ったもののようで、かつては島内各地に三岳の遥拝所があったとか。明治維新までは18ヶ所に村落名を冠した益救神社がありながら、現在は宮之浦と原のみとなっているそうです。
 
二つ目の鳥居の手前には顔の削られた仏像。
 
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鳥居の脇には阿形と吽形の仁王様が鎮座していらっしゃいます。
 
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 吽形
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阿形
 
元々神仏混淆で信仰されていながら明治の廃仏毀釈で傷つけられた様子。ただ、こうしてお姿が遺されているところに人の心の襞の内を見る思いがします。
 
階段を上ると社殿。
 
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記帳用の冊子があったので開いて見ると、一番端に六角堂に時々遊びに来てくれる小学生の女の子の名がありました。その隣に自身と六角堂の名を記帳。
 
天変地異はいざしらず、人の世の動乱は人が為す業。子供たちの未来のために、せめて人が起こす災いを防げる力を貸していただけるよう、わずかな祈りを捧げて神社を後にしました。
 
敬具