屋久島六角堂便り~手紙

自然と人が織りなす屋久島の多様性を屋久島六角堂から折々にお伝えします

2021年 古事記の旅 第2回 元旦初詣 原のホオリとヱビスとウラシマさん

拝啓

麦生の西隣、千尋の滝-龍神の滝-トローキの滝と流れ下る鯛之川(タイノコ)を渡るとハラ、ハルオ、ハローと呼ばれる集落。

f:id:y-6kakudo:20210103023031j:plain

今は柑橘類の産地ですが江戸時代には奄美大島から製糖技術が輸入され、昭和中期には大きな製糖工場もあった集落。

f:id:y-6kakudo:20210104115549j:plain

(『屋久島町郷土誌 第二巻 村落誌 中』7原村落誌P146より)

そのまた以前は、カツオやトビウオ漁で栄えた漁村。

そんな名残がそこここに。

 

Ⅱ.原

① 永昌寺

山河(ヤマンコ)公園の脇に法華宗の「永昌寺」さん。

f:id:y-6kakudo:20210103205430j:plain

 

f:id:y-6kakudo:20210103205512j:plain

屋久島町郷土誌 第二巻 村落誌 中』7原村落誌P222には、

明治の廃仏毀釈の折には大きな痛手をこうむったと記されていて、

お寺の玄関脇には痛々しいお姿の仁王さん

f:id:y-6kakudo:20210104000330j:plain

境内入口の石像もそうかと。

f:id:y-6kakudo:20210103210038j:plain

鹿児島の廃仏毀釈の歴史についてはまたいずれ。

 

② 原神社(別称 原益救神社)

神山小学校を通り過ぎるとすぐ、「原益救神社」の参道。

f:id:y-6kakudo:20210103211424j:plain

県道際の由緒書きには……

f:id:y-6kakudo:20210103211440j:plain

式内社 益救神社由緒記
御祭神:天津日高彦火火出見尊(山幸彦)
配祀:大山祇尊 木花開耶姫
塩土翁尊 豊玉彦
豊玉姫 玉依姫尊
由緒:醍醐天皇の御代約千百年前勅 名により国内の有名な神社を 調べた台帳に登載された神社 三千百三十二座の中の一座で 掖玖島(屋久島)に名神として 益救神社が記載されておりま す。是を式内社と言います。
益々救って下さる神様「救の宮」 又掖玖島が龍宮であるとして 「一品宝珠大権現」として広く 尊崇されております。

これは宮之浦の益救神社の由緒書きとまったく同じ。

 

天津日高彦火火出見尊(アマツヒコ ヒコホホデミ ノ ミコト)日本書紀の記名で、

古事記では火遠理命(ホオリノミコト)=山幸彦 。
その兄が火照命(ホデリノミコト)=海幸彦。

配祀されている神様の内、

大山祇(オオヤマツミ)はホオリのお祖父さん

木花開耶姫コノハナサクヤヒメ)はホオリのお母さん

豊玉姫尊(トヨタマヒメ)はホオリの逃げられた妻

 

日本神話で山幸=天孫族と海幸=隼人族との闘争の神話「山幸海幸物語」にご興味があればこちらでサクッと。

山幸彦と海幸彦 - Wikipedia

 

一方、屋久島町郷土誌 第二巻 村落誌 中』7原村落誌では、

(3) 歴史の概要P22ホオリの悪神退治の逸話が紹介され、

f:id:y-6kakudo:20210104110613j:plain

 

29 寺社・仏閣P220では

屋久島には山幸彦(ホオリ)をお祀りしている神社が「宮之浦の益救神社」「安房粟穂神社」「原の益救神社」「栗生の栗生神社」「永田の永田神社」の五社あることをあげた上で、

中でも原の益救神社が特別であるエピソードとして、

山幸彦(ホデリ)の釣り針を失くした山幸彦(ホオリ)が鯛川にやってきて、村人に恩返しをした話を紹介。

f:id:y-6kakudo:20210103215554j:plain

 

なお、共に祀られている豊玉姫尊(トヨタマヒメ)は竜宮に住む海神の娘

山幸彦は釣り針を求めて竜宮にきて豊玉姫と結婚。竜宮で3年をすごしたのち帰郷。

子供を身ごもっていた豊玉姫は出産のために地上へ。

産気づいて産屋に入った豊玉姫はホオリに、

「他国の者は子を産む時には本来の姿になる。私も本来の姿で産もうと思うので、絶対に産屋の中を見ないように」と誓わせたのに……

のぞき見するホオリ。

その本来の姿は八尋の大和邇(やひろのおおわに)=サメ

豊玉姫は姿を見られたことを恥じ、産んだばかりの赤ん坊を海辺に残して竜宮に帰ってしまったと。

「浦島太郎」と「鶴の恩返し」が合体したような悲しいエピソードです。

 

さて、神社巡りに戻って、

f:id:y-6kakudo:20210103232207j:plain

車ごと鳥居をくぐって奥の駐車場に車を止めるとすぐ、

f:id:y-6kakudo:20210103232425j:plain

 次の鳥居の左脇に崩れたお姿の仁王さん

f:id:y-6kakudo:20210103232539j:plain

その鳥居をくぐって又すぐ、参道の両脇に仁王さん

f:id:y-6kakudo:20210103232630j:plain

元は阿吽の姿をされていたのでしょうが、こちらもまたお顔が削られていて痛ましいお姿。

さらに階段を上った先に、

f:id:y-6kakudo:20210103232735j:plain

本殿。

f:id:y-6kakudo:20210103232822j:plain

村落誌には、昭和43年に拝殿改築を決断のきっかけは「日高直武の宝くじ当選」による寄付と記されて

こういうのが郷土史を読む醍醐味の一つかと。

 

③ 浦島さん

お参りを済ませて一路、原漁港のヱビスさんへ。

県道から漁港への降り口は昔の「やまんこ売店」、今の「つむころキッチン」東側。

f:id:y-6kakudo:20210103233337j:plain

ヘリポートを過ぎて坂を下れば原漁港。

f:id:y-6kakudo:20210103233517j:plain

山を背に二つの祠が。

右手の祠の

f:id:y-6kakudo:20210103233610j:plain

中には丸っこい石が一つ。

f:id:y-6kakudo:20210103233639j:plain

屋久町郷土誌 第四巻 自然・歴史・民俗』P906によれば、

こちらは「浦島さん」

亀の背中に乗って竜宮から無事帰還したことから航海安全の神として拝むのだそう。

ヱビス祭りでは、お寺の和尚さんが海に向かって祈祷し「八大竜王」にお経をあげるのだとか。

妙法蓮華経では観音様を信仰する衆生は救われ、観音菩薩の守護神八大竜王は観音様の宝珠を身に宿して人々に福をもたらし願いを叶えてくれるとのこと。

 また、屋久島町郷土誌 第二巻 村落誌 中』7原村落誌P221に掲載されている「原神社縁起考」には「浦島か子の霊」をまつる小祠ありと記されております。

f:id:y-6kakudo:20210104104824j:plain

 

ホオリとトヨタマヒメ、浦島子に関してご興味をお持ちの方にはこちらがお薦め。

f:id:y-6kakudo:20210104103446j:plain

三浦佑之著『浦島太郎の文学史 恋愛小説の発生』(五柳書院)。

ちんたらBookCafeでご覧いただけます。

 

ヱビスさん

左手の階段を上る祠には

f:id:y-6kakudo:20210103233749j:plain

洒落たお姿のヱビスさん。

f:id:y-6kakudo:20210103233815j:plain

クスノキ製で大きな耳たぶ。

小脇に抱えているのはトビウオでもカツオでもなくタイ

f:id:y-6kakudo:20210103234031j:plain

 

屋久島町郷土誌 第二巻 村落誌 中』7原村落誌P189には、

「一月二日 恵比寿神社初もうで」の様子が。

f:id:y-6kakudo:20210103235530j:plain

「八大十五か様」は八大竜王のことでしょうか。

カツオエビス、トビウオエビス、ザコエビス様がどのようなものかは不明。

ご存知の方があればぜひお知らせくださいませ。

 

⑤ お地蔵さん?

ヱビスさんの左手少し入ると、そこには原船主会の安全祈願碑

その脇には「海の安全を祈る 屋久町 昭和52年6月」と記された台座の上で、手を合わせていらっしゃるのはお地蔵様なのでしょうか?

f:id:y-6kakudo:20210104173002j:plain

ただ地蔵菩薩は通常、左手に如意宝珠、右手に錫杖を持つお姿。

f:id:y-6kakudo:20210104174237j:plain

(左は奈良国立博物館、右は法隆寺地蔵菩薩
サンスクリット語で「クシティガルバ」(क्षितिघर्भ)。
クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味で、意訳して「地蔵」。
六道すべての世界(地獄道・餓鬼道・畜生道修羅道・人道・天道)に現れて衆生を救う菩薩ですから、様々なお姿でいらしても、よろしいのかと。

f:id:y-6kakudo:20210103235811j:plain

次回は初詣巡り最終回。原の西隣、尾之間の神さんご案内です。

6kakudo-tegami.hatenablog.com

敬具

 「2021年 古事記の旅」の記事一覧

「屋久島の人と暮らし」の記事一覧

2015年に屋久ヱビス様を巡った「島の恵比寿さん」シリーズはこちらから。

「島の恵比寿さん」の記事一覧