屋久島六角堂便り~手紙

自然と人が織りなす屋久島の多様性を屋久島六角堂から折々にお伝えします

屋久島ほんの気持ちばかり第18回 2023年秋の明冥文庫より ① 福田村事件とマコモ

拝啓

 

この半年、六角堂明冥文庫に新たな本が何冊も海を越えてやって参りました。

本当なら、皆様にもちんたらブックカフェでゆっくりお手に取って頂きたいものばかりなのですが、

よんどころない(情けない)事情に明け暮れて、それも果たせぬまま秋を迎えてしまいました。

 

せっかくの読書の秋、

その内の何冊かを、新参者から順番にご案内させて頂こうかと。

 

『福田村事件』

関東大震災・知られざる悲劇

辻野弥生著 五月書房新社 2023年7月刊行

この本との出会いは、

30年ほど前にとある女子中学校で出会った一人の少女のFacebook 濱村千尋 (久保)

そこに綴られた『福田村事件』の映画と本の感想

 

「福田村事件」
100年前の9月1日、関東大震災が発生。
朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのデマが流れる中、讃岐出身の15人の薬の行商人が朝鮮人と間違われ、10人が殺害された福田村事件。
実際に起きたこの事件が題材の映画。
差別の描き方が重層的。
被差別部落出身の主人公たち。
薬を売りつけられる癩病患者。
騙した「せめてもの罪滅ぼし」にとお遍路にお布施。
(当時のお遍路さんは、貧困者や病人や障碍者が多かった)
「穢多」より「せんじん(朝鮮人)の方が下に決まっとる!」
差別というのは、身分だけでなく、「あの人よりは私の方がマシ」と思うことで自分を保とうとする、一人一人の中にある心の弱さなんだなー
としみじみ。

 

京都在住中親しんだ京都みなみ会館」が移転後閉館に至ったこともそこで初めて知り、それはそれでガガ~~ンでしたが、

何より「福田村事件」を知らなかったことを恥じ入りました。

彼女の感想に触発され、この本を読みたい、映画も観たいと。

 

映画『福田村事件』公式サイト (fukudamura1923.jp)

 

まずは居ながらにして接することのできる本Amazonで購入。

事実そのもの以上に、その丁寧な調査や聞き取りに感服。

きちんとした資料をもとにまとめられた「断片的ではない事実」を知ることの大切さを痛感。

 

読後、巻末の参考文献に上げられた見覚えのある本の名を見てAmazonで追加購入。

 

『差別と日本人』

野中広務辛淑玉角川書店 2009年刊行

被差別部落出身であることを公言し、

園部町長、京都副知事、衆議院議員自民党幹事長まで上り詰めた野中広務と、

在日朝鮮人ライター辛淑玉の対談集とあって、

出版されたころ書店で見掛けて気になりつつも、

自民党野中広務に抵抗感があって結局買わなかった一冊。

 

辛淑玉が繰り返す「差別は享楽なのだ」の解釈に、う~~ん。

 

「差別は古い制度が残っているからあるのではない。その時代の、今、そのときに差別する必要があるから、存在するのだ。」

「差別とは、富谷資源の配分において格差をもうけることがその本質で、その格差を合理化する(自分がおいしい思いをする)ための理由は、実は何でもいいのだ。」

 

そうだとすれば、自分の身に被差別の意識を持たぬ私はどうすればよいのか。

 

本も読みつつおさらいした福田村事件 - Wikipediaの末尾に思わぬ記事が。

 

2014年(平成26年)、フォーク歌手の中川五郎は、本事件をテーマに24分の楽曲『1923年福田村の虐殺』をつくった。寮美千子・姜信子・中川五郎・末森英機の座談会集の付録CDに収録し、2017年(平成29年)にはライヴアルバム『どうぞ裸になって下さい』(コスモスレコーズ)に収録した。

 

これも聴きたいとAmazonでポチッ。

 

『どうぞ裸になって下さい』

中川五郎 cosmos records 2枚組CD

添付の歌詞カードの一部を紹介。

左端が楽曲の解説の一部、右端が25分の曲の最後のフレーズ。

これぞフォークの神髄。

恥ずかしながら、

中川五郎のことは60年代の関西フォークの一人、高石ともやが歌った『受験生ブルース』の作詞者ぐらいの知識しかありませんでした。

1949年生まれの彼が還暦を迎えた2009年に作曲した曲を、今になって知るとは。

夜中のちんたらカフェで独り、じっくり聞かせて頂きました。

 

また、このアルバムには韓国の詩人金素雲氏の随筆、関東大震災の体験記を元にした「真新しい名刺」も収録。

併せて聞くことができて幸いでした。

 

で、

話はこれで終わらないのです。

 

この『福田村事件』、

早く読み進めたいとあちこちのカフェでお茶をしながら読み進めておりました。

その一軒が安房のカフェ、スマイリーさん。

チーズケーキと月姫茶を頂きながら、

ママさんにこの本の話を少し振ったのですが、

「本当にそんなことあったの?」と半信半疑。

それより、疲労がもとで腰を痛めているならマコモの足湯」を是非にと勧められ、

新設(改装)されたばかりのカフェの別棟で半信半疑の体験。

マコモ」というので藻類かと思いきや、イネ科の植物。

古来、莚(むしろ≒こも)の材料。

 

足を湯に浸からせながらマコモマコモ、コモコモと頭の中で唱えている内、

ふと思い起こした言葉が「おこもさん」。

そこから永井豪が1970年代に連載していた漫画『おもらいくん』を想起。

主人公おもらいくんのセクシーな姉役が「おこもちゃん」。

この作品のもっぱらの評価は「常識を反転させて笑いに結ぶ永井ギャグ漫画としては最も先鋭化した作品」。

ネットには最終話の次のような場面が。

これはもう一度読み返さねばと、再々度Amazonで文庫版全二巻をポチッと。

来週初めには到着予定。

 

で、

『福田村事件』と「おこもちゃん」がどうつながんのや?

 

「おこもさん」とは乞食(こじき)のこと。

乞食は中世以降明治初頭まで被差別賤民とされ、

戦後は軽犯罪法で禁止されている存在(行為)。

「おこもさん」という呼称は乞食がムシロ(こも)を被っていることが多かったからだとか。

 

こじつけめいて聞こえるかもしれませんが、

一冊の本のリアクションから浸かったマコモの足湯。

そのマコモ-コモ-乞食-被差別民への連鎖に何かしらの感慨。

 

そしてさらに、

先に紹介した『差別と日本人』で辛淑玉は「軍人恩給」に絡んで次のように語っています。

私、子供の時に新宿のガード下で物乞いしてる傷痍軍人を侮蔑的な目で見てたんですよ。軍人嫌いの私には、歌っているのが軍歌だということもあったかもしれない。日本の国からお金をもらってるんだからいいじゃないか、思ったのね。

そしたら、大人になってから、あれは朝鮮人だったってことを教わるわけ。結局、元軍人であっても朝鮮人だから、それで一銭も日本からもらえなくて、生活することもできなくて、しかも国籍条項によって福祉からも排除されている。だから物乞いするしかなかったってことを知って、私は打ちのめされたんですよ。

 

私自身も1960年代、名古屋駅のガード下でアコーディオンを弾きながら歌っている傷痍軍人を観ました。

母親に、あれは何をしている人だと聞くと、「知らなくてもいい」とだけ言われたことを思い出しました。

母がなぜそう言ったのか、今になってやっと理解できました。

 

Wikipediaさんによれば……

傷、痍ともにキズ(傷)を意味するが、大きな傷として腕や脚を失った傷痍軍人も多くいた。軽傷の者は復員後故郷に晴れて戻ったが、体の一部を戦禍で失ったこれら元軍人は仕事に就ける訳でもなく、その生涯の多くを国立療養所やその後の国立病院で過ごすこととなった。日々の生活はそこで送っていたものの、都会の人通りが多い駅前や、地元の祭りや縁日にはその場に来て、露天商が並ぶ通りなどの通行人から金銭を貰い、小遣いとした。

一方、

在日韓国人旧日本軍軍人軍属等に対する補償の問題については、1965年(昭和40年)の日韓請求権・経済協力協定により、法的には日韓両国間で完全かつ最終的に解決済みとされ全ての訴訟は原告敗訴となっている。

 

おこもさん-傷痍軍人-在日朝鮮人差別

 

そしてそこから更に妄想連鎖は広がって、

行き着いた先は関東大震災当時大流行していた『船頭小唄』。

戦後、森繁久彌が映画『雨情物語』の主題歌として歌った名曲。

「枯れすすき」=枯れマコモ

そして潮来(いたこ)は茨城県利根川流域の町。

登場人物の男女二人は「船頭で暮らす」と悲しげに歌っています。

 

近世、船頭は「六道者(ろくどうもの)」と呼ばれた業種の一つ。

江戸時代、各地の長吏頭(穢多頭)の支配下で「七乞食」「八乞食」らとともに非人身分に属して六種の業種に携わった者を総称する語で、①船頭、②石工、③関守、④筬売、⑤弓打、⑥餌差をいう。

近世下層社会生活者の身分・職業・芸能語彙 身分・職業・芸能語彙 (ら~ろ行) (hp-ez.com)

 

その利根川の上流にあるのが千葉県野田市

野田市に合併された町の一つが福田村

そこで起きた虐殺事件の被害者となった薬種行商人は、

香川県被差別部落

 

近世の医薬業者には被差別部落民が多かったとの論考も。

近世の被差別民と医薬業・再考 kiyou_0153-01.pdf (blhrri.org)

 

土地を持たぬ行商人はその中でも更に厳しい暮らしを強いられていたことは想像に難くありません。

 

マコモ-乞食-船頭-薬種行商人-被差別部落-在日朝鮮人-侵略-震災-集団虐殺。

 

一方、

僧侶を表す比丘(びく)はサンスクリット語で「食を乞う者」という意味。

「乞食:こつじき」はその中国語訳。

古代インドのバラモン階級や自由な思想家・修行者は、人生の最後締めくくりとして、各所を遍歴して食物を乞い、ひたすら解脱を求める乞食の生活を送ったとのこと。
釈迦もまたその一人。

 

果たして私もそれに学べるか。

 

かつての教え子に教えてもらった一冊の本と、

日頃お世話になっているカフェのママさんのご縁でまた、

「残された人生で自分がなすべきは何か」を考える機会を頂いたことに感謝。

 

鹿児島市内のガーデンズシネマでただいま『福田村事件』上映中。

[再映]福田村事件 | ガーデンズシネマ (kagocine.net)

 

ご縁を得られれば幸いです。

 

敬具