屋久島六角堂便り~手紙

自然と人が織りなす屋久島の多様性を屋久島六角堂から折々にお伝えします

屋久島の春 遅々として進まぬCafe準備トコトコ進む輪廻促進計画

拝啓

はや四月も一週を過ぎようとしている屋久島。

島の林道ではヤクシマアジサイが花開き始め、

ポンカン畑やタンカン畑からは爽やかかつ濃厚な甘い香りが漂い、

藪の鶯ケキョケキョホケッキョ、田んぼの蛙はゲロゲコゲロゲコ、夜の草むらからは虫の音がジジジジジジと姦しさを増しております。

 

週の頭に予定していたちんたらBookCafeの営業ですが、

幾つものお問い合わせを頂きながら準備が整わず、

早くとも週後半以降となりそうです。

決まり次第ご連絡申し上げます。

 

で、

ここからは先は独り勝手な呟きと妄想の世界です。

 

66日前、「屋久島スパゲッティ巡り 南の六店(ラーメンの細道・うどんドン特別編)」をupした翌日の1月31日のこと。

三か月ごとの定期血液検査の結果、

糖尿病のリスク指標の一つHbAlc(基準値4.9~6.0)の値が跳ね上がっておりました。

2021年の暮れには6.3だった数値が、ぐうたら生活を日々重ねる中で、2022年の暮れには7.42023年の11月には8.1と上昇したため薬を増量したにもかかわらず、今回は過去最高の8.7に

ここで主治医の一言「ヤバいですヨ!かなり!!」

続けて曰く「腎臓一個しかないので、これ以上強い薬で数値を下げることはできません。このまま進むとインシュリン注射、失明か足の切断、悪くすれば腎不全か心筋梗塞で死にます。」

……とのこと。

「人はいつか死ぬんじゃなくて、人はいつでも死ぬのよ」という樹木希林の格言に深く同感しているので、死ぬことへの不安や恐怖はないのですが、

せっかく白内障の手術でよく見えるようになった目が見えなくなったり、せっかく買い替えた車を運転するにも不自由な片足になるのはどうも。

で、先生最後に曰く「炭水化物を控えて、運動を心掛け減量して下さい」

「はい」と素直に答えたものの……

“控える”などというのは言うは易し行うは難し。

煙草と同じで減らすというのはストレスでモヤモヤイライラするばかり。

3か月分の薬を頂き、

その足で病院の隣のヒトメクリさんに向かい、

出雲産豚肉ステーキを炭水化物のゴハンもパンも付けずに単品でハグアグ思案。

そこで思いついたのが「コメムギイモ抜き食生活」

コメ抜き=白米・玄米はもちろん餅も団子もアラレもオカキも食べない。

ムギ抜き=パンやうどんやラーメンやパスタだけでなく、パン粉や小麦粉を使ったカツや天ぷらも食べない(けど餃子の皮は目をつむる)

イモ抜き=ジャガイモ・サツマイモ・サトイモ・ヤマイモ・ヤムイモも食べない。

どんなマメもヤサイやクダモノもOK。

何のニクでもサカナでもタマゴも乳製品も制限なし。

で、

2月1日から実行開始。

その時の体重が82.6㎏。

 

それから三週間。

本来ならばこのブログでまとめ記事を書くはずの「西日本車中泊徘徊の旅」の最中もコメムギイモ抜き生活を続けたのですが、帰島の数日後2月20日の体重は80.6㎏。

減らんもんやなあ。

それもそのはず、肉中心にコメムギイモ以外を満腹するまで食べつつ、車で移動し続けていたのですから。

そこで過去の経験を活かして始めたのがウォーキングの併用による減量。

3年前に腎臓ドナー手術に備える減量で実績あり。

ただ、その時は移植医に期限と目標値が設定されてのこと。

今回はいつまでにどれだけ落とすのかは自分次第。

考えてからやり始めるのではなく、やりながら考えるというのが自分流。

とりあえず実践あるのみ。

長期ご滞在のお客様のために作った「六角堂ウォーキングコースマップ」のコースを可能な限りの速足で歩くことに。

2月21日、「Ⓐ 神さん巡りコース」でスタート。

戻って体重を測ると……

100g減。

そこで閃いたのが1日100g、

晦日までの10か月300日で30,000g=30㎏の減量。

名付けて「輪廻促進計画」。

 

それから距離を伸ばして「Ⓑ麦生集落周回コース」6.2㎞を歩くこと10日ほど。

減ったり増えたり繰り返しつつも、3月2日には79㎏台に。

※その日の晩御飯も一緒に記録するように。

この日は豆腐一丁玉子野菜入り具沢山味噌汁と日向夏
ちなみに朝は前からずっとバナナ一本とヨーグルト200g、昼は適当。

で、

3月末には75㎏を下回り、

4月からは標高差約120m、一周8.4㎞の「Ⓒ龍神の滝コース」に距離を伸ばして、

そして4月6日現在、72.2㎏に。

コメムギイモ抜き生活を始めてから66日間で10,400g減=1日平均158g減

歩き始めてから46日間で8,300g減=1日平均180g減。

予定を上回るペースで計画は進行中。

 

頬のラインも腹の出っ張りもわずかながらスッキリしつつあるのを見たり、コメムギイモ抜きを聞き及んだ方から「糖質制限してるの?」としばしば問われますが、

答えは否。

 

mori cafe standさんでは

「ソフトクリーム」や「マイコスペシャルサンデー」

Smileyさんでは

月姫茶と共に「なめらかプリン」や「シフォン抜きプリンパフェ」

kiina さんでは

ソーダフロート」や「シフォン抜きプリンパフェ」

SONGLINESさんでは

「珈琲ゼリーパフェ」

屋久島ジェラートそらうみさんでは

新作「三岳焼酎ミルクシェイク」

屋久島 sisasisaさんでは

「アイスクリームぜんざい珈琲セット」

長い冬眠から目覚めたばかりの

ノマドカフェさんでは

チャイのお供に「ジンジャーミルクジェラート

naa yuu cafeさんでは

ご飯抜きランチの後に「ココナッツ寒天のあんみつびわアイスのせ

そして自宅でのおやつはマメ菓子やチーズやチョコレート。

※QBBのベビーチーズはAコープやドラモリよりコスモスが断然安い。

まっ、主治医の先生がこれを観たらあきれてものも言えないでしょうが。

 

ただ、コメムギイモの有難みを確認するため、

節目となる3月初めと4月初めにおうちごはん オアシスさんでコメムギイモたっぷりランチを頂きました。

 

主食を抜いて甘いものを食べてばかりでは健康に悪い!

との心配も耳に入りますが、

元より健康のためではなく、これは一種の人生ゲーム。

 

振り返れば、この人生で減量に勤しんだのは過去3回。

最初は今から30年ほど前の1993年

幼少期からの空飛ぶ夢を叶える手立てとしてパラグライダーに挑戦。

パラフライヤーに必要なアマチュア無線技士の免許も取得。

そして、自前のパラグライダーを手に入れて飛ぶため、当時70㎏を越えていた体重を60㎏台前半に落とすことを目標に。

往復25㎞程を勤務先まで自転車通勤にし、帰ってからは宇治川の土手をランニング。

ただ、とある事情でパイロット証取得を道半ばで断念。

そして減量も中断。

 

その次に減量したのは、

今から20年ほど前の2004年の冬から2005年の春。

心底食べたいときに食べたいものしか食べたくない。

食べずに済むなら食べずにいたい。

それに重ねてとある願掛けのため、宇治黄檗の自宅から伏見の御香宮までの往復10㎞を毎晩歩き続けておりましたが、

愛知万博が開催された5月、とある事情で中断。

 

その10年後の2014年3月、早期退職して屋久島に移住。

 

そして3度目は3年前。

急性腎不全により透析患者となった次男への腎臓移植手術のために減量。

85㎏を越えかけていた体重を4か月ほど歩くことで70㎏台中ほどまで落として手術完了。

担当医からはさらなる減量を指示されておりましたが、食事制限もウォーキングも終了。

この手術は、いわば生前贈与でしたから。

 

そして移住10年、66歳となったこの年始。

この一年をどう過ごそうかと思案していた中での主治医からの「ヤバいよ」宣告。

とりあえず始めたコメムギイモ抜き生活とウオーキングを進める中、

一つの確信が言葉(数字)になりました。

晦日まで1日100g、10か月300日で30,000g=30㎏の減量。

82.6㎏から30㎏減量すれば52.6㎏。

これは50年前の16歳の時の体重にほぼ近い数値。

そこに戻って更にその先へ進むことが、自分の半生で繰り返してきたことの仕上げ。

それを成し遂げることこそ今自分に課すべきミッション。

名付けて「輪廻促進計画」。

 

2か月で10㎏も減ってしまって大丈夫かと心配して下さる方もいらっしゃいますが、いわゆる世間で肥満度を測る指標BMIで診れば、ようやく「普通の上限」に達したところ。

ここから10㎏減ってもまだほぼ適正体重
そこから更に10㎏減ってもBMIは17.68なのでやや痩せすぎといった程度。

仮にそれを実現したとて、何の報酬も世間的評価を得ることもありません。

そこにあるのは体(肉体)を脳(精神)がコントロールし切ったという満足感のみ。

思えばこの世の動物の中で自ら節食減量=ダイエットを試みるのはホモ·サピエンスのみではないかと。

敢えて言えば、肉体の維持と安定と快楽を支える脊椎動物共通の脳を、ヒトが異様に発達させた大脳新皮質前頭葉で操るスリリングな試み。

それはヒトをホモ·サピエンス(ラテン語で賢い人)ではなく、ホモ·ルーデンス(ラテン語で遊ぶ人)と呼ぶことと相通じるものがあるのではないかと。

ホモ·ルーデンスはオランダの文化史学者 J.ホイジンガが著書『ホモ・ルーデンス-遊戯における文化の起源』 (1938) で提唱した概念。
その価値を改めて教えてくれたのが山崎正和『社交する人間: ホモ・ソシアビリス 』

そこにはこんな一節が。

今回の輪廻促進計画もまた、受動性からの脱却、能動性としての決意であると勝手に思う次第。

 

そしてさらにそれは平安末期の歌謡集『梁塵(りょうじん)秘抄』の有名な歌と響き合うかと。

遊びをせんとや生まれけむ

戯れせんとや生まれけん

遊ぶ子どもの声聞けば

我が身さへこそ揺(ゆる)がるれ

遊びをせんとや生まれけむ『梁塵秘抄』の遊びの本当の意味 (tankanokoto.com)

 

こうしたホモルーデンスの戯言などニャーには無縁のことかと。

私にはニャーの心中など分からないのと同じで。

 

長文失礼いたしました。

 

敬具