拝啓
いくら入念なコロナ対策を取ったところでお客様が来て下さらなければ始まらないのがお宿や飲食店。
例年オフシーズンの1月は冬季休業の多い屋久島ですが、そんな時期こそ島民にカフェの魅力を味わってもらおうと昨冬始まった「屋久島カフェ巡り」。
その模様はこのブログでもご案内いたしましたが……
しっかり応援しようと最初に伺ったのは、
小瀬田の「mori cafe stand」さん。
遅めの昼食を頂こうと2時過ぎに伺うと「本日大繁盛でごはん売り切れ」。
そこで「今日一番食べて欲しいのは何?」と伺えば、
「冬季限定メニューのテリヤキチキンフォー」
と元気な即答。
元気にそれを頂きますと注文。
mori cafe のみならず、今まで屋久島でフォーを頂いた記憶なし。
フォーに馴染みのない方はこちらのサイトでご確認を。
待つことしばし……
やって参りました湯気モウモウのフォー。
mori cafeさんらしく彩り豊かな盛り付け。
レンゲが付いていなかったのでベトナムの作法にはもとりますが、まずは器からスープをズズリと一口。
穏やかな香り、フォーを食べつけない方も安心して頂ける味付け。
で、
スパイシーさを求める方用に添えられたチリソースとスパイス塩をドドドッと加えさせて頂いていざ麺を。
米粉の麺は平たいきしめん状ではなく丸っこいビーフンですが、程よい腰があってツルツルのど越しを楽しめました。
Wikipediaによれば、
フォーは基本的に外食する料理で家庭で作られることはあまりないため、「フォーを食べる」が「不倫をする」ことの隠語になっているとのこと。
だから何だと言う訳ではありませんが、
滑走路から離陸する飛行機のうなりに旅情も掻き立てられ、
思いを馳せたのは以前から「おみずの島プロジェクト 」で提唱している海のシルクロードの東の玄関口としての屋久島創生。
西はトルコに始まりアフガニスタン・パキスタン・インド・スリランカ・インドネシア・フィリピン・タイ・ベトナム・台湾に加えポリネシア・メラネシアの島々から日本列島(ヤポネシア)に連なるDNAと文化の流れを受け止め、受け容れ直す拠点として屋久島を位置付ける試み。
江戸時代から絶え間なく訪れた移住者が集落の暮らしを変容させてきた歴史を持ち、自然とヒトの多様性をウリにできる屋久島なればこその目論見。
そのとっかかりの一つとして、海外からの移住者を呼び込み、
海のシルクロードの料理を島内で満喫できるフードコートの開設を!
などと思いつつ気になったのが……
お向かいでリニューアル中の旧SAMS建屋。
1月には何軒かの飲食店が入って新装オープンと聞いておりましたが未だ工事中。
どんなもんじゃろと覗きに行けば、
コインランドリースペースの隣に「CAFE & STUDIO JISUGI」。
その右側には「らーめん たぶ川」の店名表示が。
移転されるたぶ川産のラーメンも楽しみですが、新たにできるCAFEもまた。
ただ半年前、
新社屋脇の「たまりば」はコロナ対応のテイクアウトで賑わっておりましたが、秋以降何の利用もされていない様子。
リニューアルオープンのJISUGIの行方も気になるところ。
どうせなら、島の金と知恵を結集して斬新なフードコートを作ってもらいたかったのですが……
ついでながら空港の真向いでは、
新たに進出してきた「ディスカウントドラッグ コスモス」の工事が急ピッチで進行中。
隣接するドラッグモリやドラッグイレブンと競い合うにもスタッフの確保が不可欠。
それこそ都市部で普通に見掛けるベトナム、フィリピン、タイ、インドネシアからやって来た語学留学生のアルバイトに代わる人材を島独自の条例を作って海外から招くことはできないものかと勝手な妄想も。
荒木町長はじめ町役場のお歴々には外国人留学生や技能実習生の語学研修施設を島に誘致する発想はないのでしょうか。
六角堂への帰り道、平野の延命地蔵さんの寒緋桜が七分咲きに。
まだメジロの姿は目に留まりませんでしたが、傾く冬の陽に染まって艶やかな色合い。
『花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに』
と歌った小野小町の切なさが何やら身に染みて。
『散る桜 残る桜も 散る桜』
を辞世の句とした良寛和尚の最期まで思い起こされ、しばししんみり。
その脇には、
河東碧梧桐の句『赤い椿白い椿と落ちにけり』を彷彿とさせる紅白のツバキ。
咲いては散り、時が来れば又新たな花を咲かせる命の営み。
その鮮やかな命の瞬間を精一杯慈しみたいもの。
延命地蔵様に一礼し、夕日に向かってトロトロ六角堂に戻った夜、
母方の一歳違いの従弟の訃報。聞けばすい臓がんが見つかって一月もせぬ間に。
母方の祖母も、作春亡くなった妹もまたすい臓がんで。
「ランゲルハンス島」でエスニックカフェでも出そうか知らんと妄想する大寒前夜。
次回のカフェ巡りは一湊のキヨコンネガイさんです。
敬具