の続編です。
予定では中間・小島地区妄想散歩の予定でしたが、
その前に栗生の散策を。
拝啓
さて、
今回ご紹介する本は古川弘文館発行、片山一道著の
歴史文化ライブラリー139
南太平洋のポリネシア人もオーストラリア原住民も、
“日本人”と同じモンゴロイドの一派であり、
椰子の実ならず海流に乗って広がった人間、
「ラピタ人」を紐解く書です。
6月10日、
中国、近畿、東海地方も梅雨入りの報。
日本列島に大量の雨を降らせる水蒸気の元は、
遥かフィリピンの、
そのまた向こうの南洋から流れ来る黒潮。
台風もまたこの流れに乗ってやって来ますが、
その突端が栗生集落。
平家の落人伝説もあり、浜の神様は崇徳天皇。
江戸時代は中国-琉球-国内各地を結ぶ重要交易港。
その後は、カツオ漁の基地として栄えた集落でしたが……
栄枯盛衰。
栗生川周辺のテクテク歩きの一コマは、
ひと月ほど前にご案内いたしましたが……
今回は、
栗生漁港とその先の
「夕陽の楽園」をご案内。
まずは、
栗生のヱビス様にご挨拶して
漁港に向えば、その日は31隻が係留されておりました。
例の如く船名を確認。
思いの他、
女性風船名がたくさん。
岸壁で釣りをしていた漁協の方に伺えば、
昔から女の名前の船はある。
たいがい奥さんの名前を付けたもんだが、オレの船は死んだオヤジの名前だ。
とのこと。
漁港を後にして向かったのは
「栗生沿岸海中公園」。
海中公園などと言われると
関東人なら千葉県勝浦市の海中公園、
海の中を眺められる海中展望塔を期待してしまうかもしれませんが、
栗生に立っているのは……
案内板だけ。
その磯と塚崎タイドプールとの分れ目に立っているのが、
「東シナ海を望む夕陽の楽園 塚崎展望広場」の看板。
石畳の坂をテクテク上がれば……
水の出ない水飲み場に干上がった池。
朽ちかけたテーブルとベンチに、
ぐるりと木が取り囲む広々とした空き地。
何処から夕陽が見られるんや!
と、端から端まで点検すれば……
幅3mほどの切れ目があって、正面には口永良部島。
これはないやろ、
いや、
トマソンとしてはありか。
「夕陽の楽園」の立て看板には(栗生区)の表示があることから、集落の管理のよう。
どこかからの補助金で広場を設けたものの、
管理の人手や費用が続かず放置されているのかも……と想像。
ただ、
広場の一角には、何かを意図したような石畳スペースが。
人里離れた海縁のスペース。
どんな大音響でも迷惑掛ることはめったになさそう。
先日ご案内した麦生漁港の「蛍の里構想」でも触れた
野外音楽堂は、ここにこそふさわしいかも……と。
問題はどうやって屋久島に、そしてこの栗生の地に人を誘い込むか。
それは以前ご案内した「おみずの島プロジェクト」、
US-2改造外洋旅客飛行艇による「ヤポネシアライン」構想で。
飛行艇の揚陸地点は漁港の船の引き揚げ所あたりはどうかと。
そうすれば、
漁港前に寒々と佇む休憩所(聴くところによると漁協の管理)も、
本来の役割を果たせるのかと。
次回は中間の「回れぬ回廊」と「島のテイクオフ」をご案内予定です。
敬具