の続編です。
拝啓
今回ご案内する本は、
元本は1981年に集英社から発行。
その中に
1979年12月16日脱稿の
「二十日は山に五日は海に 屋久島」が収録。
二度に渡って島を訪れた島民との交流記。
例えば、
・江戸時代のシドッティ神父の密航
(合併した後の役場職員の序列と島の経済格差)
・一湊のカツオ漁とサバ漁
(不良による減船)
・安房のトビウオ漁
(若手漁師による新造船)
・台風体験
・尾之間の防災無線の早朝チャイム
・そしておまけの様に、縄文杉登山
短い取材期間ですが、
よくある観光ガイドや島の自然賛美のエッセイとは違って、
人の海と山と里の暮らしに密着。
そうした文章を楽しめる志向が、
これからお迎えするお客様のトレンドになるかも。
そんなことを思いつつ、
麦生の里をテクテク歩き、
漁港の脇を通り過ぎようとする刹那、
今まで何度も目にしていながら、
気にしなかった文字に吸い寄せられて漁港の中へ。
ことみ丸。
他の船はと、改めて見てみれば、
ゆき丸、恵丸、さつき丸、千代丸、由美丸と、
陸に上がって、中には打ち捨てられたかにも見える船たちは、
何で女性とおぼしき名ばかりなのか?
日本船舶海洋工学会のHPには、
どうして船は女性なの?/海の不思議箱 日本船舶海洋工学会 海洋教育推進委員会
日本の釣り船をみると"清次郎丸"、"庄三郎丸"、"健一丸"など
男の名前が多いのでピンときませんが、
外国船では"クィーンエリザベス(英国)""エカテリーナ(ロシア)""ジャンヌダルク(フランス)"など女性名を掲げる船も少なくないようです。
と記述。
また、
「〇〇丸」の丸の由来については諸説あり。
船名 - Wikipediaには、その一覧が。
公益財団法人 日本海事広報協会ほか、
様々な団体や辞典も「丸」の由来を開陳。
なお、
船舶法取扱手続(明治33年逓信省公達第363号)
第1章総則 第1条には
船舶ノ名称ニハ成ルベク其ノ末尾ニ丸ノ字ヲ附セシムベシ
と定められていましたが、
平成18年の国土交通省訓令第3号により、
その条項は削除。
ちょっと遠回りを致しましたが……
全国の船名の実態はいかなる様子かと……
日本船舶電装協会の「 2019年 漁船竣工船一覧表」を覗いてみれば
新造された48隻中、女性名らしき船名は
宮城県のまぐろはえなわ漁船「かなえ丸」一隻のみ。
その他の船は、
「昇運丸」や「第八十八長久丸」などの吉祥名や、
「栄吉丸」のような男性名がほとんど。
ここで新たな疑問が二つ。
① 女性風の船名が多いのは屋久島独特なのか、
② はたまたそれは、麦生漁港独特なのか?
それを確かめるべくまずは安房の南港へ。
まずは、ヱビス様にごあいさつ。
(薄暗くってフラッシュ焚いてピンボケ失礼)
そして、
6月7日午後6時過ぎに停泊していた
すべての船の船名を撮影。
(同じ船名の船は1隻だけ掲載)
それを三分類。
合計36隻中
地名・吉祥風船名 23隻
男性風船名 7隻
女性風船名 6隻
女性風比率 16.7%
女性風船名の比率は、決して高くありません。
そこに居合わせた漁師さんに……
麦生の港の船は女性名が多いのだけれど、
ここの漁船はそうでもなさそう。
名前はどうやって決めているのでしょう?
とお尋ねすれば……
みんなそれぞれ好きなように付けてる。
男女は関係ない。
女の名前は奥さんの名前が多くて、
守ってもらいたいと思っているのだろうけど、
おれには分からん。
自分の船には自分が好きな名前を考えて付けただけ。
ただ、「丸」を付けるのは決まりみたいなもんだ。
とのこと。
それでは、何か記録はないかと
「屋久町郷土誌」全四巻の漁業関連をザザっと斜めに辿ったものの、
船名に関する民俗学的記述は見付けられず。
そこで、
集落ごとの漁船名の記述を拾ってみると。
麦生集落では昭和40年代のトビウオ船の船揚げ場の記録があり、
そこには大黒丸・宝恵丸・福栄丸・共栄丸の名が。
安房集落の記述には、昭和30~55年と平成元年の船名が。
その中で、女性とも取れるのは、
なつき丸と喜代丸ぐらい。
ちなみに、
栗生集落の戦後の動力船の記録では
千代丸、千恵丸、甲子丸、八重丸、美紀丸が。
これらから想像できる仮説は、
① 女性風の船名を付けるようになった歴史はそう古いものではなさそうだ。
② 麦生の女性風船名の多さは麦生集落の特徴かもしれない。
それを検証するには、更なる調査や聞き取りが必要なようで。
ここでもう一つ気に留めておきたいのが、
船霊(魂)様の存在。
船霊 - Wikipedia には次の記述が。
全国的に、船霊は女の神であるとされる。
海上に女性を連れて行ったり、女性が一人で船にのったりすると、
憑かれたり天候が荒れたりするとして忌む傾向がある。
栗生のカツオ船は毎年、新しい人形を船の総大工が作って収め、
その人形には船主の家の生娘の髪の毛を付けたとのこと。
また、
上屋久町の船魂様は、
9センチほどの赤い麻布(平織り)の人形で、
顔は百田紙に墨で描かれ、二個のサイコロが付いたお姿だとのこと。
いずれも女神さまであることは間違いなさそう。
そこで今度は、
を紐解けば、
船魂様に関する記述があちこちに。
その一部を撮影してご紹介。(公文書に準じてお許しを)
まずは永田(P160)
一湊(P163)
志戸子(P166)
宮之浦(P169)
三、「船」のまとめ(P175)
さすが、
かつて漁業で栄えた上屋久町の民俗資料。
「歴史民俗資料館」の更なる整備や、資料のデジタル化、
早期の移転を願います。
島には「トマソン化」した建築物が、
いくらでもあるのですから。
そんな知識を頭の片隅に置きながら、
再度、
麦生漁港のヱビス団地に向えば、
有難さもまた数倍。
上段には
左手、鰹を小脇に抱えた楠木製の恵比須様は、日本一の美男子恵比寿の評判有り。
右手、鯛を小脇に抱えた石造製の恵比寿様は、悲しいことにお顔が割れて痛々しく。
下段に並んだ自然石も神様。
左の丸っこいのは、麦生の僧侶が立てた仏様、航海安全の「竜王様」。
真ん中の背の高いのは、海の「竜神(ジュウジン)様」。
右手の石は、不明のようです。
(屋久町郷土誌 第四巻 P904参照)
そうした説明が、
「屋久島文化環境財団」の設置したアクリル案内板に、
わずかながら書かれておりますが、
島内のどこに設置してある案内板とも同じ。
「屋久島里めぐり推進協議会」HPに繋がるだけで、
それ以上の詳しい説明を知ることができません。
なんとも悲しく、歯がゆいばかり。
※この写真をQRコードで読み取ってご覧ください。
さらに、
6月12日に行われる屋久島町議会定例会では……
令和2年第2回屋久島町議会定例会一般質問通告一覧表 pdfに
次の質問が用意されている模様。
質問者 石田尾茂樹
3.港湾・漁港の管理について
⑴ 港湾・漁港に使用不能のために長期陸揚げしている漁船等を撤去するべきではないか。
なんとも「もったいない」は話。
麦生漁港はGWともなれば
海に注ぐ川面を蛍舞い翔ぶ幻想的なスポットに。
島の歴史が詰め込まれた「廃船」を
オブジェのように配置し、
お洒落かつ、持続可能な海浜公園にリニューアル。
そんな規格を提案する町議会議員さんはいらっしゃらないのでしょか?
女性の船名が記された船を
「トマソン的文化財」=観光資源として評価するセンスを養うこと。
そして多大な費用を掛けたアクリル案内板自体を
「トマソン化」せぬよう努めること。
そうした姿勢や努力こそが、
島の「新たな生活様式」を産み出して行くものだと確信しております。
この続編はこちらから
敬具