屋久島六角堂便り~手紙

自然と人が織りなす屋久島の多様性を屋久島六角堂から折々にお伝えします

屋久島ラーメンの細道 第7回 吊り橋のたもと その2

【六角堂スパイシーブックカフェ・イートハーブからのお知らせ】

5日()Open 12:00~売り切れ御免の臨時営業
白いココナッツエビカレーと赤いチキンカレーの祝日バージョンです



拝啓

島を巡る県道77号線の安房大橋の上流にかかる、今は赤い安房川橋

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昔は吊り橋だったその北側のたもとに

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「創業昭和八(1933)年」のお店があります。ひょっとしたら『浮雲』で日本中に屋久島を知らしめた林芙美子もこのお店でラーメン(いや、うどんか?)を啜ったのかもしれないと妄想を掻き立てられるお店。

『林芙美子と屋久島』(著:清水正、発行:D文学研究会)によれば林芙美子が屋久島を訪れたのは66年前の昭和25(1950)年4月30日、安房の沖に錨を降ろした「照国丸」からハシケで安房川河口の船着き場に着き、「安房館」という木造二階建ての旅館に泊まったとか。その頃はまだ、鹿児島からの船が島に接岸できる港はなかったようです。

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林芙美子は屋久島を舞台の一部にした『浮雲』を完結した昭和26(1651)年、島を訪れてから1年後に心臓麻痺で絶命しています。彼女が「主婦之友」昭和25(1950)年7月号に寄せた「屋久島紀行」には安房の荒物屋に『麦生から安房までの二里あまりの道を裸足で味噌を買いに来たおばあさん』の姿が描かれているとのこと。
※「屋久島紀行」は青空文庫で無料で読めます

その荒物屋はひょっとしたら前回の『屋久島ラーメンの細道 第6回 吊り橋のたもと その1』で紹介した今のじいじ屋さんだったのではないかと妄想が膨らみます。

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そんなかつての街並みを写した写真が店内に張られたお店が「八重岳食堂」さん

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果たしてどんなラーメンを食せるのかと期待しつつメニューをみると

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島では珍しい「キムチラーメン」にも心惹かれましたが、やはりおすすめ「ラーメン」を注文。壁に貼られた新聞記事を読みつつ

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待つことしばし……

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ネギとモヤシとチャーシューと、そしてゆで卵と海苔。見ただけで、何やら懐かしさが込み上げます。スープは豚骨と鶏ガラがベースとのことですが、しつこさはなく、モヤシと海苔の風味が勝った磯の香りが漂うような趣き。昭和30年代の浜茶屋で頂いたラーメンが彷彿とされ……

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丼鉢の底に鳳凰が舞っているのがまた佳し。完食した者のみが味わえる絶景

国家(権力)が日本の文化・伝統を守ること求める向きもありますが、文化や伝統とはこうした庶民の地道な営みによって守られ継承されていくものなのだとしみじみ思いました。

今「日本の伝統」謳われる事柄の多くは富国強兵を推し進めた明治政府の国策によって造られた虚構であることがいかに多いことか。また一部の向きから声高に叫ばれる「家族」のありようについても、それが高度経済成長を成し遂げようとした企業の思惑によって造られたものに過ぎません。

国や県からの交付金・補助金・助成金・奨励金に絡みとられ、地縁・血縁にまみれた利権争いに引きずられることなく、島の魅力ある文化や伝統を引き継ぎ、新たな魅力を創生していく可能性を島のラーメンに見るのはアホでしょうか?

敬具


屋久島ラーメンの細道インデックス

  安房 じいじ屋の「塩ラーメン+ミニ豚こつ丼」と「味噌ラーメン」
  宮之浦 ランチボックスの「らーめん+小どん」
  宮之浦 王龍(わんろん)の「屋久島黒ラーメン」
  宮之浦 楓庵の「屋久島もののけラーメン」
  宮之浦  琉誠の「屋久島ラーメン」
  安房  南国酒場Amaraの「屋久島トビウオ・トムヤンクン」
  安房 萬来軒の「ラーメン定食天津飯セット」