拝啓
そぼ降る雨に艶やかな花が雫を垂れる六角堂。
月桃の株を分けてもらったつもりが、
花をつけてみればクマタケラン。
思ったものとは違っていても、
そのものの持つ素敵さを味わうことのできる幸いを教えてくれます。
それは、食巡りも同じかと。
このブログで食巡りのご案内を始めたのは、
移住間もない8年前。
最初の記事は長峰の「萬々亭」さんのカレーでした。
そこに、こんな思いを書き付けておりました。
そんな中で「この島にもカレーの数ほど人の人生があるものだ」、
「カレーを透かして島の風景や人情を眺めてみるのも悪くはない」と
思うようになりました。
すでに萬々亭さんは閉じられてしまいましたが、
そこで得た感慨は今なおしっかりと、
この胸とブログの画面に残っております。
さて、
今回ご案内するのは「ハムカツ」。
事の始まりは、
2016年1月10日(日)から連続8回で放映された、
アメリカに渡り日本では映像を見ることのなくなった
忽那汐里(くつなしおり)が主演。
その第二話「別れた夫のとんかつ」を観て、
無性にとんかつを食べたくなり、
六角堂から一番近くでとんかつを食べられるお店、
尾之間の「サンキュー食堂」さんに急行。
メニューを確認すると、
そのど真ん中に
「肉厚 ハムカツ定食」の写真が。
その刹那、
小学校低学年の頃、
習字塾の帰り道、
市場の肉屋の店先で揚げられていたハムカツを、
一枚買って食べ歩きしながら家に帰るのが楽しみだった記憶が蘇りました。
で、
思わずとんかつを振って、ハムカツ定食を注文。
分厚いハムは食べ応えがあり、
「ハム食ったぞ~~」の満足感は十分。
聞けば、
ジャンキーなものが好きな若い方がテイクアウトでよくご注文されるとのこと。
ただ、
50年以上前に頂いたハムカツとのあまりの違いに戸惑いも。
となれば、まず島で一番昔ながらの大衆食堂に近い、
移住する前からの約15年間、
何十回となく通った店ですが「ハムカツ定食」の存在は記憶にありません。
それでも、再確認をと出向いてみましたが……
やはりメニューにはなく、
ハムカツ定食気分が少しばかり味わえる「Bランチ」を頂いて帰ることに。
いつもなら十分満足して帰れるところですが、
この日ばかりは………。
そして「宮之浦のヒトメクリさんにあったかも」とのうわさを耳にして入店。
しかし、ハムカツはなく、
「ベーコングリル」とチーズナンを頂いて帰ることに。
地味に富んだベーコンともっちりアツアツのチーズナンの相性はよく、
これもまた舌は満足いたしましたが、
脳味噌の底に何やらくすぶるものが。
ひょっとしたら意外なところにそれは存在するかもと、
出向いてみたのが平内のnaa yuu cafeさん。
「お店にハム料理はなかったかしらん?」と尋ねれば、
「フォカッチャのサンドイッチにはハムが入ってます」
とのお答え。
それを静々頂くことに。
カリフカッとしたフォカッチャの触感。
ハムと卵の風味が珈琲とよく合い、
ほっと一息付けました。
食後、
ママさんにハムカツが食べたくて島を巡っていると話すと、
気が向いたらな~ゆ~プレートのおかずかフォカッチャサンドに入れてみても、
とも。
6月から7月半ばまで一か月半ほどの休業明け、楽しみにしてお店を後に。
で、六角堂に戻って早速、
「マツコ ハムカツ」でネット検索。
20種類ほどのハムカツを見せつけられるほどに、
あの
ペラペラでガリガリのハムカツが恋しくなってまいりました。
そんな思いをとある午後、
永久保の雪苔屋さんで話していると、
「鴨川食堂」の原作小説の話に。
ハムカツ素材の入っている第7巻「鴨川食堂 もてなし」を発注。
三日後に到着。
その一節。
そうなんやろなあ~と納得。
そこで、
六角堂の蔵書の一部、
食関連コミックの中でも人気な
「深夜食堂」ではどうだったかと探し直すと……
第7巻のお品書きに「ハムカツ」が。
その回想場面に、そうなんだよね~~。
さらに、
惜しくも6年前に他界された高井研一郎の、
「続 横浜 百年食堂」の目次を開いてみると……
そのお品書きにもハムカツが。
そこには、プレスハムという懐かしい響きが。
そういえば『鴨川食堂』の一節には、
「赤ハム」「チョップドハム」という語句が。
そこで、
「プレスハム チョップドハム」で検索すると、こんな記事が。
(以下抜粋)
「プレスハム」とは、
塩漬けした豚肉、牛肉、馬肉、羊肉、山羊肉などの畜肉や家禽肉の小片と、挽肉やデンプン、小麦粉、コーンミールなどのつなぎを香辛料や調味料とともに練って整形し、燻煙、加熱した加工食品です。
「プレスハム」は、1947年に伊藤食品工業(現在の伊藤ハム株式会社)が商品化したものがヒットし、戦後から高度経済成長期にかけて大きく普及した日本発祥のハムです。
「チョップドハム」とは、
塩漬けした豚肉、牛肉、馬肉、羊肉、山羊肉などの畜肉や家禽肉、兎肉の小片と、挽肉や魚肉、デンプン、小麦粉、コーンミールなどのつなぎを香辛料や調味料とともに練って整形し、燻煙、加熱した加工食品です。
「チョップドハム」は、ハム・ソーセージ類公正取引協議会の定める「ハム・ソーセージ類の表示に関する公正競争規約・施行規則」において、1g以上の肉塊が50%以上含まれたものと定義されており、JASの「プレスハム類」には分類されません。
さらに、Wikipediaで「プレスハム」を検索すると
プレスハム - Wikipedia
マトン利用のプレスハムは、増大した需要にこたえ、これにより1958年(昭和33年)には年間27トンに過ぎなかった羊肉の輸入量が、10万トンを超えるようになり、1969年(昭和44年)には食肉加工原料に占める羊肉の割合が42パーセントを占めた。
この知られざるプレスハムの歴史に感嘆。
といいうわけで、
ノスタルジックなハムカツ用のハムは、
いわゆるロースハムとは生まれも育ちも違うものだと知ることができました。
今では、チープだのジャーキーだの、
挙げ句の果てに癌の元だと蔑まれ、のけ者扱い。
なればこそ、
戦後日本の食糧危機の中で発明され、
一かけの命をも無駄にせず、
庶民の暮らしを支えてくれたハムカツへの愛おしさは深まるばかり。
そんな話を
長峰のmori cafeさんで話をしていると、
それを横で耳にした
見知らぬお客さんが、
「島のお店になかったら、自分で作って食べればいいじゃないですか」と。
それは、正論。
しかし、心の中で反論。
作ろうと思えば、似たようなものは私にも作れます。
ただ、
業務用プレスハムを一人分手に入れることがどれほど困難で、
日頃揚げ物に使わないラードを手に入れることがどれほど割高か。
ハムカツ一枚のためにどれほどたくさんの油を使い、
その油の処理にどれほど手間がかかるか。
おまけに皆が島外から食材を輸入して、
自宅で調理して済ませてばかりでは島の経済はしぼんでつぶれるばかり。
そして何より、
家で一人で作って独りで食べることの虚しさ、
お店で作ってもらった熱々を、
作り手の顔が見える店内で頂くことの喜び、感謝。
それを分かっておっしゃるのでしょうか?
と、シミジミ。
昭和のハムカツを巡る島めぐり。
センチメンタルジャーニーは、
ここらで一巻の終わりとさせていただきます。
BGMはこちらからお好きなほうをどうぞ。
敬具