拝啓
初詣の最終回は方言で「オネラ」「オネダ」「オナイダ」などと呼ばれる尾之間(オノアイダ)、縄文時代の石器や土器も出土する古い集落の神さん達のご案内。
オネラは「仰ぐ・見上げる」の意の方言、本富(モッチョム)岳、耳岳、割石岳三山の尾根の間を表すとも。
最初に訪れたのは
Ⅰ.「保食(ウケモチ)神社」
県道(バイパス)沿いに保食神社の鳥居。脇の坂道を上がり、
駐車場に車を止め、石段を登れば何度も修繕移築された社殿。
神社由緒を記した碑文には……
御祭神は「倉稲魂命(ウカノミタマノミコト:古事記では宇迦之御魂神)」。
しかし由緒書きには「豊受大神(トヨウケノオオカミ)を奉祀」とあり、
しかも神社の名前は「保食(ウケモチ)神社」。
???となりますが……
年末の「無人市巡り」シリーズでもご案内したように
「ウカ」も「ウケ」も食べ物を現す古語。
宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)と、
豊受大神(トヨウケノオオカミ)=豊宇気毘売神(トヨウケビメノカミ)、
同じ穀物や食物の神さんであるとの考えからかと。
このことについてはまた後ほど詳しく。
また、
『屋久島町郷土誌 第一巻 村落誌 上』6 尾之間村落誌 P1284には、
ここで行われる「よごもい」(夜ごもり)の風習が紹介されています。
狛犬の足元には痛ましいお姿の仁王様。
鹿児島県の廃仏毀釈については、いずれまた特集を予定しております。
再び県道に戻り、そのまま海に向かって下れば
尾之間公民館のある「尾之間自然休養村管理センター」。
その駐車場の西端、センダンの木の脇にあるのが一体目のヱビスさん。
Ⅱ. 町ヱビス
社屋の左側に祠があり、
中には石製のヱビスさん。
抱えているのは立派な目玉のタイ。
ヱビスさんの右隣りには、こちらも上半身を破壊された仁王様。
こちらの町ヱビスさんは県道拡張工事のため、ここに移転されたとのこと。
そこからさらに海際に進めばJRホテル。
その右手の坂道を下りていくと
崖のすぐ手前に二体目のヱビスさん。
Ⅲ. 女子崎(おなごさき)の浜ヱビス
左側の小さなヱビスさんは石製。
かなり風化してしまっておりますが、
『屋久島町郷土誌 第四巻 自然・歴史・民俗』第六章民間信仰P908によれば、
狩衣、指貫、烏帽子姿でタイを抱えた立派な彫刻だとのこと。
以前は右端の医師の祠に鎮座されていたとのこと。
中央、赤い社殿には木製のヱビスさん。
大きな木製のヱビスさんは近代のトビウオヱビスさんだとのこと。
ヱビスさんから、島の漁業の変遷も見て取れるようです。
今も女子崎は磯釣りのメッカ。
釣りをされない方も、ここからの夕陽の絶景をお楽しみくださいませ。
そこから尾之間温泉に向かう県道近く、
Aコープの駐車場のすぐ横に、港へ向かう坂道が。
そこを下った港の入り口にいらっしゃるのが、三体目のヱビスさん。
Ⅳ. 港(浦)ヱビス
山の斜面に作られた祠にはいつもお供えが。
大きなタイを抱えた地スギ造りのヱビスさんが穏やかな笑顔で。
こちらのヱビスさんも高波などの被害に遭って何度も引っ越しされた末、ここに収まっていらっしゃるとのこと。
元旦も堤防で釣りを楽しむ親子連れをヱビスさんが見守って下さっておりました。
元旦初詣、最後にご案内する神さんは尾之間温泉にいらっしゃいます。
Ⅴ. 温泉神社
温泉右手、蛇之口の滝に向かう尾之間歩道の入り口脇には真っ赤な鳥居。
そこには「子間姫龍神大神」(こまひめりゅうじんおおかみ)の名が。
温泉に浸る老若男女の楽しげな声が漏れる石段の先にも鳥居。
鳥居の台座は六角形。
雨除けのついた立派な祠にはツヤツヤして丸みを帯びた自然石の御祭神。
こちらが「竜神様」かと思いきや、
鳥居の脇の石塔には「大権現尊神」の名が。
その他の石塔にも様々な文字が。
上段左端の写真には「疱瘡退散」の文字。裏には天保十五年(1844年)と。
疱瘡は天然痘のこと。
大村藩が古田山を種痘山とし、そこに隔離して人痘種痘を行ったのが天保元年。
天然痘関係歴史略年表と重ねて島の歴史を見るのもまた。
祭神が竜神なのか権現なのかについては……
明治維新の神仏分離令(神仏判然令)で権現社・権現宮・権現堂の多くが廃され、「権現」の神号や修験道が一時禁止されたため、権現を祀る神社の多くは本地仏を廃して祭神(垂迹神)のみを祀るようになったためかもと。
『屋久島町郷土誌 第一巻 村落誌 上』6 尾之間村落誌 P1322には、刻まれた文字の詳細図があり、
そこには次のような解説も。
「権現とは、権化と同じ意味を持ち、仏教でいえば仏とか、菩薩を現しの尊号である。流行病とか、疥癬除けの守り神でもある。竜神とは、わだつみの神、竜王とも呼ばれる。大変気性の激しい神様だと言われている」
また、
『屋久島の神と仏』(太田五雄・三橋和己著)には次の記述があります。
「以前は単純に『温泉神社』と呼ばれていたが、昭和の終わりごろ……周囲の人たちから『神様ばい』と呼ばれていた、関東出身の千代岡龍子さん(故人)という霊験あらたかな方が、『子間姫龍神大神』と改められた」
「近くにある大きなしいの木の大木には神が宿っているので、それには絶対に触ってはいけないといわれている」
温泉には浸からず、次に向かったのは岩崎ホテルの先にある県道沿いのお地蔵さま。
まだ新しいお地蔵様の台座には「安全を祈る」の文字。
手を合わせて下さるお地蔵さまに目礼し、
六角堂への帰路立ち寄ったのは、尾之間と原の境目にある鑑真和上の史跡。
鑑真和上は中国から日本に戒律を伝えるために遣唐使船に乗るも5回失敗。
失明を乗り越え決死の渡航の末に天平勝宝5年(753年)12月7日、遣唐使船第二船で「ミヤカタの浦」に上陸。
そんな記念の場所を訪れる人も少ないのか、朽ちかけの木の碑がぽつんと一本立っているだけなのが残念です。
取り合えず「元旦初詣」はこれで締め括り。
これから一年かけて他の集落の神さん仏さんを巡りつつ、
神さんの由来や廃仏毀釈などについてもご案内。
次回は、ヱビスさんの由来についてのおさらい会です。
敬具