屋久島六角堂便り~手紙

自然と人が織りなす屋久島の多様性を屋久島六角堂から折々にお伝えします

天平時代、遣唐使船から吉備真備が上陸した麦生のkomohamaでお祭り

拝啓

コロナ災禍と猫の目GOTOトラベルに翻弄される屋久島。

そんな11/29、麦生のHONU(ハワイ語でウミガメ)さんが中心となって元気に「komohanaフェス」開催。

komohanaはハワイ語で西。麦生の西地区のお祭りです。

11:30 サブリナLIVE

f:id:y-6kakudo:20201129135737j:plain

12:00 無料炊き出し

f:id:y-6kakudo:20201129135811j:plain

13:00 belly dance Yakushima

f:id:y-6kakudo:20201129150118j:plain

※この写真はRung rung naam + healing trip bodywork さんから頂いたもの
13:30 komohanaバンド
14:00 神山小バンド
と多彩なプログラムで賑やかに。
 
別会場では野良猫救済チャリティーも。
そこで以前から気になりながらお会いすることができなかった、
高平の草木染手織り工房「そらのあお」さんと出会うことができました。

f:id:y-6kakudo:20201129140119j:plain

草木染の知識をいろいろ教えて頂き、
お近づきの印に、ウコンで染めたブローチを一つ分けて頂きました。

f:id:y-6kakudo:20201129140541j:plain

 
こうした様々な「民間の取り組み」がある一方、
気になるのが町役場の姿勢。
今回のフェスの駐車場はポンタン館の奥、旧屋久町営農支援センター」の駐車場を利用されておりましたが……

f:id:y-6kakudo:20201129140923j:plain

その上には「亜熱帯果樹展示用ハウス」があることになっております。
しかし、

f:id:y-6kakudo:20201129141117j:plain

そこは荒れ果てた廃屋に。
屋久町が上屋久町と合併し、屋久島町になってから何がどうなったのでしょう?
 
また、ポンタン館の向い、
天平時代(753年)に日本の国の礎を築いた吉備真備 (Wikipedia)が、
遣唐使での帰国の途、
この屋久島に立ち寄ったことを示す遣唐使副使吉備真備上陸之地」を示す碑が……

f:id:y-6kakudo:20201129141556j:plain

半ば朽ちて倒れかけ。

f:id:y-6kakudo:20201129142000j:plain

日本国の礎と島の歴史が交差する史跡を守り伝えたいものです。

 

さらに、

そこから進む「トローキの滝展望所」

わざわざ作られた「📷撮影ポイント」からは

f:id:y-6kakudo:20201129141414j:plain

滝の姿が半分も見えず、肝心の海に注ぐ滝壺は樹の陰に。

f:id:y-6kakudo:20201129141516j:plain

コロナ災禍を乗り越えて、何とか暮らしを立てていこうとする町民の活動にしっかり応える町政であってほしいもの。
 
一方、
ポンタン館の奥の駐車場には、ひっそり佇む「鳥獣供養碑」

f:id:y-6kakudo:20201129142610j:plain

何時建てられたか分からぬ古い供養碑と1983年建立の供養碑が並んでおります。
屋久町猟友会・旧屋久町・旧屋久町農協の名が刻まれておりますが、
屋久島町になってからどこが管理されているのか。
供養のお祀りが行われているのかどうか存じませんが、
農作物の害獣として駆除されるシカやサルは毎年数知れず。
その上、鹿肉を屋久ジビエとして売り出そうというならば、
観光協会や商工会も含めて、盛大な供養祭が行われてもよろしいのでは。
 
こうした記念碑、供養碑は、島の成り立ちを伝える貴重な印。
それを守る発想こそが、島の新たな未来を切り拓くのだと。

敬具

「屋久島の人と暮らし」の記事一覧