拝啓
2月4日、天草二日目はレンタカーで天草東部から三角へと。
まず会いに向かったのは、天草東海岸の巨大なえびすさん。
富田漁港の脇に高さ10m重さ320tの倉岳大えびす。
像の下には大笑いのえびすさん。
横の水道栓は鯛の顔。
いかにもですが、愛嬌があってこれもまた佳し。
その先のえびすビーチに向かう途中、
ふっと目についた神社。
車をUターンさせて停めて見れば十五社。
聞いたことなし。
よく手入れされた社と境内、
それに神仏習合の名残?なのか古い仁王さんと新しい仁王さんがきちんと祀られていて、その上えびすさんもいらっしゃるのどかな神社。
ぐらいにしか思っておりませんでしたが……
六角堂に戻って調べ直すと、
十五柱の御祭神を祀る神社が全天草神社の三分の一に近い八十五社もあり、
天草では存在感のある神社でありながら、
その成立については様々な異論もある謎の神社。
『歴史と民俗 神奈川大学日本常民文化研究所論集二』所収「天草の十五社信仰」によれば、
天草独自の十五社宮は、海に生きた原住民、すなわち古代天草の海人族が信仰を寄せた還シナ海文化圏につながる龍(神)宮が「ジュクサさま」「ジュウゴさま」と転訛していたものに「十五社」の漢字をあて、
いつしか天照大御神や阿蘇十二神をふくむ大和朝廷文化圏の神々十五社をあてて併祀したもの。
第3章 天草独特の神社形態「十五社宮」のすべて|佐伊津神社|noteより一部抜粋
という海をまたいだ大層なお社。
知らないことに出会うのが旅の面白さだと再認識。
その先を進むとえびすビーチ。
駐車場トイレの前に鎮座されるヱビスさんの横に、
鯛夢(タイム)トンネル。
ここを抜けるとビーチに出るという仕掛けのよう。
どんなもんじゃろと思われる方は、
天草宝島観光協会制作の「熊本県天草観光ガイド-えびすビーチ」のYouTubeでどうぞ。
トンネルを抜けると、そこは雪国ではなく過去でも竜宮城でもなく浜だった。
海というより湖のような穏やかさ、あきれるほどの遠浅。
ふと見れば、その傍らに釣りえびすさん。
トンネルの方を振り返れば案内板。
他にも「遠見エビス」「エビスと七福神」がいらっしゃるようす。
案内図の表示に従ってちんたら歩めど、
丘に上がる遊歩道の入り口は見当たらず……
「父母より先に生まれた子供なし」???
なんですの?それ。
訳が分からず引き返すと……
斜面に遊歩道、というよりその成れの果てのような杭の連続。
好奇心にそそのかされて藪をかき分けかき分け登れば……
遠見えびすさんのおなり~
実はこの写真、周りのススキやら雑木を素手で引き抜き、
引き抜いたススキを釣り竿代わりに差し上げて撮ったもの。
後ろに回れば、少しく絶景。
草払い機でも持ってきていたら、刈って差し上げたのに、残念。
で、次の問題は七福神。
途中に枝道らしき藪があったのでそちらに足を運ぶ、
ではなく藪を漕いでいくと……
丘のえびすさん中心に、七福神の勢揃い。
どこかに居そうなおじいさん風の丘のえびすさんと、
結構手もお金も掛けたと見受けられる石のレリーフの六福神。
何故にゆえにこんなことに。
ひょっとしたら、
最初に見た「立ち入り禁止」の道に通じるのではないかとさらに進めば……
思った通り、
というか思わぬ通りに。
出会ったのは、
網に囲われた月照菩薩。
その先には廃墟。
そして、さらにその先には、
訳の分からぬマーク(図象)が描き込まれた「危険」の標識。
ここから浜に出たら危険なんかい!
とロープをまたいで再び鯛夢トンネルに。
トンネルをくぐりながら脳裏に巡るいくつかの疑問。
⁇ 誰が作ってどこが管理しているのか?
⁇ 案内板の表示を残したまま散策路があんな状態になっているのはなぜか?
⁇ 案内表示は「エビス」なのに本体は「えびす」なのは何故?
駐車場に戻って港で釣りをしている方に話しかけると、
「俺は地元のもんだけど、丘の七福神なぞ観たことない。誰が管理しとるのかも知らん。役場に行って聞いてみたらどうかな」
とのお答え。
でしたが生憎今日は土曜日。
こうした「負の遺産」の事情はネットで調べても簡単には調べられなさそうなので宿題に。
そこから天草で一番高い山「倉岳」頂上に向かうことに。
そのフロントガラスの先に、
今度は看板が目に。
屋久島の一湊にもある「矢筈岳」。
その海岸べりの「矢筈嶽神社」は島でも指折りのパワースポット。
海抜0m登山口へ立ち寄ることに。
すると、やはりご縁でした。
下り坂の途中に現れたのがこの看板。
六部塔(六十六部塔)。
これも何かのご縁かと。
それにしても日本全国六十六か国を巡る巡礼の旅とは新知識。
ネットでそれらしきサイトを確認すると
聖地へ旅するのではなく、聖なる旅を実施するのが六十六部
ええもんですなあ。
しかし、中には巡礼の途中で息絶えた方も多かったようで、
この地の塔もその慰霊碑のよう。
次なるご縁は何か知らんと先に進めば……どん詰まり。
あれこれ迂回して出たのは小さな港、棚底港。
そしてそこにはエビスさんの群像。
これもまたご縁。
とはいうものの矢筈嶽登山口には行きたいので、
港で雑談していらっしゃる同年配の善男女に道を伺い、
辿り着いたのがこちら。
諏訪神社の鳥居の傍らに標識が。
神社の由緒書きには、
大山祇命(おおやまづみのみこと)も祀られているとのことで、
いよいよ屋久島とのご縁も深く感じられました。
神社を抜けた山手には立派なお寺、浄土宗江岸寺。
いわゆる六地蔵さんがたっぷり花を供えられて笑顔でほほ笑んでいらっしゃいました。
この時点で昼の12時。
今日の目標の三角西港までの三分の一しか来ておらず、
倉岳の上り下りだけでも車で1時間以上かかるとのこと。
果たして夜までに宿に帰れるのか?
【浜で学んだこと】
◎ えびすさんを大切に
屋久島の多くの集落では、
浜エビスと村(岡)エビスが対になって祀られています。
それを全部巡ったシリーズをこのブログで7年前に掲載しています。
えびすさんのお姿表情二つと同じものがなく、
石像、木彫、漆喰塗と様々、
抱えているの鯛ではなくて鰹の場合も。
しかし、そんな個性的なえびす様も漁民の減少と共にお祭りも簡素化され、
中にはどこにいらっしゃるのかなかなか見つからないことも。
神さんあっての人の暮らし、人のお世話あっての神さん。
持ちつ持たれつの暮らしを大切にしてこその
家内安全商売繁盛なのではないかと。
◎ 仁王様に注目
天草の十五社の手前の鳥居には古い仁王様。
奥の鳥居には新しい仁王様。
神仏習合の名残を今に伝え、それを大切に守っている様子がうかがえました。
一方、屋久島の神社では……
こちらは原集落の益救神社。
鳥居の奥の両脇に仁王様。
明治所期に行われた廃仏毀釈の嵐は、特に鹿児島で激しかったとのこと。
その名残が仁王さんのお顔に刻まれております。
宮之浦の益救神社にも同様な仁王さんがいらっしゃいます。
そうした「負の遺産」を訪ね歩くのも島の文化を理解する一助かと。
人間には88の煩悩があり、四国霊場を八十八ヶ所巡ることによって煩悩が消え、願いがかなうとされていますが、
「栗(九里)より(四里)旨い十三里半」の焼きいも商法を真似、
島内(屋久島+口永良部)神仏「益=89か所巡り」、
それが無理なら「8×9=72か所巡り」の企画を妄想。
益救神社の御朱印はこんなん。
スタンプカードではなく、屋久杉の薄板を使った御朱印帳なんぞも作り、
各所の印形は公募で決めるとか。
また2017年に行われた屋久島スタンプラリーの資源を活用するのも有効かもと。
社寺仏閣のみならず、各所の「ご利益」を皆で考えるのも、また楽しい地域起こしになるのではないかと。
巡礼は神聖なるもの。
そう思われる方が多いかと存じますが、
人の暮らし、息遣いが伝わるような俗っぽさこそ、
民間信仰の肝なのではないかと思うことしばしば。
つづく