屋久島六角堂便り~手紙

自然と人が織りなす屋久島の多様性を屋久島六角堂から折々にお伝えします

旅のまとめ その④ 二つの六角堂 遣唐使船と補陀落渡船 那智勝浦

拝啓

1月12日朝、宿のご主人に屋久島で六角堂という名の宿を営んでいると話すと、

「この宿の裏山に六角堂があります。子供のころかくれんぼしてよく遊びました。何が祀ってあるのかわからない謎のお堂です」との教え。

 

それでは是非にと宿を後にし、

とことこ歩いていくと、

ほんまや。

 

階段を上ると山号が。

どうやらお不動さんが祀られている様子。

 

登り切ると、六角堂が朝日を浴びて清々しく。

お声がけをしましたが、どなたもいらっしゃらないので、

勝手にお堂に上がらせていただきました。

お不動様の凛々しいお姿に惚れ惚れ。

 

ネットで「波切不動尊確認すると……

波切不動とは海上で嵐に遭った弘法大師空海の乗る遣唐船を救うために、

海上に現れて波を切り開いた不動明王のこと。

波切不動とは | 高野山真言宗やすらか庵 (yasurakaan.com)

 

遣唐使とは、また屋久島とご縁がありました。

第10次遣唐使の復路、2号船には鑑真 3号船には吉備真備が乗っておりましたが、

天平勝宝5(753)年12月、そのいずれもが屋久島に立ち寄って(漂着)しております。

 

ただ、トローキの滝へ向かう散策路の入り口と、尾之間と原の境目辺りの農道に、

木製の記念碑がポツリと立っていることを知っている島民も少ないようで。

 

ご興味のある方は、

屋久島を代表するガイド小原比呂志さんが講師で語られる「益救嶋 遣唐使を導いた海上の高峰 - オンラインアカデミー屋久島大学」でご覧いただいてはいかがかと。

  

那智補陀落渡海船と出会う朝、

遣唐使船縁の六角堂に出会えるとは。

これもまた奇遇です。

上海万博の復元遣唐使船:File:Japanese envoy to Tang Dynasty China ship 2010.jpg - Wikimedia Commonsより

 

日本史に、

富山県が作った「逆さ日本地図」を眺めながら思いを馳せると、

また違った姿が見えてくるようにも思われます。

https://www.toyama-brand.jp/TJN/?tid=103914

 

 

JR紀伊勝浦駅まで歩き、

バスで向かったのは熊野権現

熊野古道の入り口となる大門坂で下車。

杖立から手ごろな一本を拝借し、

いざ熊野古道へ。

 

延々と続く石段敷石坂道を登ること40分。

 

那智熊野大権現の入り口には、

これまた関西風な注意書き。

 

那智熊野大社から

 

那智青岸渡寺を巡り、

 

滝に向かって歩けばそこに……

水子供養の六角堂。

熊野にも六角堂があるとは存じませんでした。

 

そこから坂を下れば三重塔の先に那智の滝

 

坂を下って、滝がご神体の飛瀧(ひろう)神社に到着。

参拝台から拝んだ滝。

 

瀧の裾には虹がかかっておりました。

 

そしていよいよ補陀落山寺へ。

11:00に那智の滝バス停からバスに乗りJR那智勝浦駅へ。

まずはその駅前にある「熊野那智世界遺産情報センター」で少しく予習。

 

そこから徒歩5分。

補陀落山寺本堂正面

 

その脇には世界遺産であることを示す石碑。

 

本堂内は撮影禁止。

 

熊野比丘尼」が熊野権現勧進を目的として諸地域をめぐり歩いて絵解きをした「熊野那智参詣曼荼羅を眺めていると、

寺務所の方が実際に絵解きをして下さるとのこと。

講義代をお支払し、ありがたく拝聴。

 

補陀落渡船についてのお話の中で日秀上人のお話が。

渡海船に乗った上人のほとんどは、

そのまま生き仏となって補陀落浄土に向かわれたのですが、

日秀上人だけは、何と琉球に漂着。

そこで熊野の教えを広めたとのこと。

それが記載されている本を紹介してくださいました。

何やら見覚えのあるタイトルだったので、

六角堂に戻って蔵書を確認。

 

ありました。

『観音浄土に船出した人びと』(根井浄著、吉川弘文館刊行)。

その中の日秀上人に関する記述の一部。

 

絵解きの後、

境内にある渡海船の模造を見学。

船室の前後左右には朱塗りの鳥居。

 

その帆には南無阿弥陀仏の名号。

まさしく神仏習合

 

渡海船の内部を伺うと、何やら敬虔な心持に。

そして何やら至極納得。

何やら先が見えて参りました。

 

本堂の裏山には、海上人の墓が。

 

その供養碑の基石は六角形でした。

 

補陀落山寺を後にして、那智の海岸トットコ歩き、

 

紀伊勝浦駅から再び13:46発の特急くろしおに乗り、

和歌山についたころにももう夕闇が。

 

宿泊したホテルの向かいには、和歌山城がお堀に影を映しておりました。

 

つづく