拝啓
先日、埴生窯さんのFacebookを拝見し、「えっ」となった「つ。」
https://www.facebook.com/haniigama1986
さっそく、映画「つ。」をネット検索。
佐賀映画制作プロジェクト のサイトには、主演俳優の写真が。
「佐賀映画制作プロジェクト|株式会社ハレノヒ」のプレスリリースを確認すると。
ちょうど一年前の2021年12月22日付けの記事に主要キャスト紹介が。
主演:山下 万希(副島 祐樹 役)写真左
2001年11月09日 生まれ
鹿児島県熊毛郡屋久島町出身
自然の中で育ち屋久島高校演劇部に所属。3年時に仲間や先生に恵まれ全国大会優秀賞を受賞。佐賀には、演劇の大会や家業である陶芸も盛んなことから縁を感じ佐賀大学に進学。
2022年3月25日の産経WEBニュースには、「『生きている』佐賀から世界へ 映画『つ』県内でロケ 」とクランクアップを伝える記事も。
佐賀映画制作プロジェクトの Facebookにはポスター案も。
その完成試写会の様子を伝えたのが、
前述のFacebookでした。
屋久島高校演劇部を卒業後、佐賀大学に進んでお芝居を続けているとは聞いておりましたが……
何と主演俳優になっていいらっしゃったとは存じませんでした。
監督のYu Inoseさんのインスタには15秒の予告編も。
映画は国際コンクールに出品され、日本での上映は来年になるとか。
鹿児島では、どこの映画館で観られるのでしょうか?
そこで改めて思うのが、
屋久島映画館再建プロジェクト。
半世紀以上前の映画全盛時代には、屋久島にも二軒の映画館が存在したことを知る人は少ないようです。
全国の「消えた映画館」を調査した「日本の映画館の総合データベース」には、
屋久島町の「消えた映画館」について、以下の記事が掲載されています。
熊毛郡屋久島町
宮浦映劇
所在地 : 鹿児島県熊毛郡上屋久村96(1958年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1958年以後1960年以前
1958年の映画館名簿では「宮浦映劇」。
1960年の映画館名簿には掲載されていない。
屋久島映劇/屋久島映画劇場
所在地 : 鹿児島県熊毛郡下屋久村安房(1955年)、鹿児島県熊毛郡下屋久村123(1958年)、鹿児島県熊毛郡屋久町安房123(1960年・1963年・1966年・1969年)
開館年 : 1954年頃
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1955年の映画館名簿では「屋久島映劇」。
1958年の映画館名簿では「屋久島映画劇場」。
1960年・1963年の映画館名簿では「屋久島映劇」。
1966年・1969年の映画館名簿では「屋久島映画劇場」。
1973年の映画館名簿には掲載されていない。
「屋久島映劇」の所在地を検索すると、cafe smileyさんのすぐ横辺り。
そんな話はスマイリーさんから聞いたこともなかったので、ホンマかいな。
(追記)スマイリーさんに聞いたところ事実でした。
場所はスマイリーのトイレの斜め上。
すでに建物はなく空き地に。
一方、
お隣の種子島の「消えた映画館」は次の八軒。
西之表市
西之表劇場/西之表映劇/西之表映画劇場/中央劇場/西之表銀映
開館年 : 1949年10月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
東洋館/西之表東洋館
開館年 : 1952年5月
閉館年 : 1966年以後1969年以前
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1990年以後1992年以前
上中映劇
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
文化映劇/中座映劇
開館年 : 1952年10月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
中種子映劇/中種子東映
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
平興行
開館年 : 1977年頃
閉館年 : 1986年以後1988年以前
上中映劇
開館年 : 1954年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
そんな種子島の映画館の歴史を振り返るブログ記事も。
2021年04月22日の記事ですが、昭和27年9月1日発行の中種子町広報誌「広報なかたね縮刷版」の紙面に載っていた「中座映画劇場」などの写真や、かつて映画館だった場所を探訪した写真などが掲載されており、興味深く拝読いたしました。
屋久島町の広報「町報やくしま | 屋久島町|人と自然と。世界自然遺産屋久島」のバックナンバーを探せば、往時の写真や記事も発掘できるかもしれません。
2014年に屋久島に移住して8年。
ずっと思い続けてきたのが、屋久島にミニシアターを作れないかということ。
映画はかつての大衆娯楽の時代から、テレビが普及した長い停滞期、ジブリを筆頭にしたアニメ全盛期、大手映画会社が配給するロードショーを大スクリーンや3D映像で楽しむシネマコンプレックスの時代へと変遷。
そんな中、
今、ミニシアターが新たな文化の発信源として全国各地に定着しつつあります。
例えば京都。
馴染みだった京都シネマ。
リニューアルした京都みなみ会館。
さらにはこの数年の間に生まれた新小屋。
そして、鹿児島でちょくちょくお世話になる
ホームページの自己紹介には……
ガーデンズシネマは、『一般社団法人 鹿児島コミュニティシネマ』が運営しております。
地域の映画環境を改善して、より映画を楽しむためのイベント企画・運営を行っております。
「映画の感動で人と人をつなぐ」コミュニティをめざして、多種多様な作品を上映、より理解を深めるイベント開催や学びの場作り、情報発信や上映支援などを行い、鹿児島における豊かな映画環境を創造し、文化の発展に寄与したいと考えます。
そんなミニシアターの成り立ちを収めた本、
『39席の映画館 』の帯には「そこに集う人たちが、街の映画館をつくっていく」と。
人口1万2000人を切る離島屋久島町は「街」ではありません。
完全に自立した映画館を作ることは困難でしょう。
また、コロナ禍により全国各地のミニシアターが苦境に立たされましたが、
それに対して様々な動きも出てきています。
大切なのは「できない理由を探すのではなく、できる方法をみんなで見つける」こと。
一つのアイデアとしては……
運営はガーデンズシネマの「屋久島分館」を作る。
島に点在するあの娯楽の殿堂を新たな文化の殿堂にリニューアル。
ちょうど6年前の2016年12月、ブログにそれを綴ったのですが……
その時は10億円の順番も、町長・町議の選挙での公約も得ることができないままに。
そこで、もう一つのアイデア。
鹿児島の覇者「いわさきグループ」の一施設、
屋久島有用植物リサーチパーク(ボタニカルリサーチパーク)の活用。
施設の公式サイトは見当たりませんが、
「るるぶ&more」には次の紹介が。
ボタニカルリサーチパークとも呼ばれる施設。
総面積約10万平方mという広大な敷地に設けられた遊歩道を進むと、果樹や亜熱帯の花木、薬草、ハーブなど、さまざまな植物が次々と現れる。
園内奥では、海に直接落ちるトローキの滝を望むことができる。
売店では、園内産のフルーツや採れたての果実や生ジュース、コーヒー(各260円)も販売している。
しかし、訪れる観光のお客様は年々減少しているとの噂も耳に。
さらには、こんな話も。
麦生は昔から地熱が高く、果樹栽培も盛んになった。
掘れば温泉も湧く。
ならば、ミニシアターに加えて南国ムード漂うスパも併設可能かも。
いわさきグループについて | いわさきグループの採用情報には、次のような文言も。
いわさきグループは、地域と共に発展することを念頭において、企業経営を行なっております。さまざまな事業を起こし、その土地の文化・風土を生かして発展させ、地域全体を活力あふれた魅力あるコミュニティにすることが大きな課題であり、夢でもあります。
そう謳うなら、新たな挑戦として、観光客と共に町民も楽しめる施設への大転換を期待。
地域が廃れては、魅力ある観光開発など不可能。
町役場や観光協会も巻き込んで、
島に居住する農家、漁師、ガイド、飲食、加工、工芸、染色、美術、写真、伝統芸能、ヨガやらマッサージやらアロマやらバンドやらダンサーやらシンガーやら役者やら……多彩多様な才能を持つ住民の力を結集する拠点を作る。
それこそ、屋久島に根を下ろす企業の使命。
しらんけど。
いづれ続編を。
敬具