拝啓
昨年の9月以来ほったらかしのままだった
「おみずのしまプロジェクト」。
思うところはあれこれ深々、
いやプカプカあるのですがなかなか文章にならぬまま季節は巡るばかり。
そこで今回は切り口を変えて林芙美子と袖擦りあってみることに……
ホタルもふんわり飛び交うようになった屋久島麦生の六角堂。
淡い光を写真に収めることが難しくブログでご紹介できないまま、
季節は梅雨に向かって突き進んで行くかのよう。
さて、
先日のブログ『屋久島ラーメンの細道 第7回 吊り橋のたもと その2』では、
林芙美子について少し触れましたが、
林芙美子は1903(明治36)年福岡県門司生れ。
尾道高女卒業後に愛人を追って上京するも婚約を破棄され、
その傷心を慰めるために付けた日記を原形にした小説がヒット作『放浪記』。
多額の印税を得た28歳の芙美子は中国、パリ、ロンドンへとひとり旅。
色紙などに好んで『花の命は短くて苦しきことのみ多かりき』と書いた彼女は
1951(昭和26)年6月27日、心臓麻痺で急逝。
享年47歳。
その死の前年に書かれたのが『浮雲』。
恥ずかしながら、
「屋久島は月のうち、三十五日は雨」という一節で有名な
『浮雲』を読んだことがありませんでした。
そこで、
開いた作品の扉に書かれているのは……
何やら高尚で難解そうですが、中身はドロドロ……
義弟に犯された幸田ゆき子は関係を逃れるためにインドシナに渡り
そこで知り合った妻のある農林技師富岡と愛し合うことに
富岡の妻は友人の妻を奪った略奪婚
戦後日本へ引き揚げた後、
2人は再開して関係を続けるものの
富岡は妻と離婚することなく、
旅先で人妻との関係を結び
それを知ったその夫は妻を殺害。
ゆき子はアメリカ人と関係を持ち、
妊娠して堕胎。
富岡は病床にあった妻を亡くす
ゆき子は関わった新興宗教から金を持ち逃げし、
富岡と再会。
その果てに二人が辿り着いた
ゆき子は誰にも看取られず血を吐いて死ぬ
富岡はゆき子を土葬して島を離れる
孤独と虚無に満ちた
合わせて購入したのが
芙美子は1950年4月に屋久島を取材で訪れ、
トロッコに乗ったそうです。
来月27日は林芙美子の命日。
降りしきる雨に打たれながら波乱に満ちた女の一生を思い起こしてみてもよろしいかと存じます。
そんな体力も気力もない方は六角堂イートハーブで雨音をBGMに、
チャイなど召しあがりながら、
島の未来と島での未来に思いを巡らせて頂ければ幸いです。
敬具