拝啓
「すんません『武田館 キッチンハウス』はどこですか?」と聞かれても、古くから住んでいる島の人ほど「それどこや?」となるかも。
安房でたぶん一番大きな土産物屋「武田産業」さんの横手に2年ほど前建てられたキッチンハウス。向かって左手が『なつみ庵』、右手が『和が家』という飲食店。
それぞれにメニューも店の雰囲気も味わいも違うお店が開業しました。
先日、右手の『和が屋』で「みそカツ定食」を注文。店内に流れる「ブラームスの子守歌」のオルゴールメロディ(https://www.youtube.com/watch?v=MyisAnYSSSU)を聴きつつ、メニューのページを繰っていると「ソースカツ丼」の存在を発見。
“しまった……”
「おいしいよ‼一度食べてみて」と言われて食べない訳にはいかないので、本日食べ直しに出向きました。
待つことしばし、登場したソースカツ丼は一口カツのサイズに揚げられた食べやすい丼でした。
ところで、このところ気になっていたのは「味噌カツ」と「ソースカツ丼」。
味噌カツは名古屋発祥(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%B3%E5%99%8C%E3%82%AB%E3%83%84)。麦味噌が主体の屋久島でありながら、何故色が濃くて甘辛い八丁味噌や豆味噌が掛けられた味噌カツをメニューに加えた店があるのか不思議でなりません。
その一方、福井や甲府などでは「カツ丼といえばソースカツ丼」のようですが、お馴染みのとじ卵を載せたもの以外に様々なタイプのカツ丼があるのに(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%84%E4%B8%BC)、屋久島では何故ソースカツ丼が移入され、定着しつつあるのか。そのルーツ、伝来のルートを知ることが屋久島の発展や未来の姿を探るカギになるのではないかと思えて仕方ありません。
以前ネットで検索すると、とあるブログの2004年9月の屋久島旅行記には安房の「レンガ屋」さんでソースカツ丼を食べたという記事(http://watacchi.com/footmark/lookback0409-2.html)が写真入りで掲載されています。しかし、私が数カ月前にレンガ屋さんに行った時にはメニューから消えていました。
そこで思い切って「和が家」のママさんに伺ってみたところ、「『和が家』で味噌カツとソーツカツを始めたのはトンカツを使ったメニューを増やしたかったからで、屋久島の他のお店のことは分からない」とのこと。疑問は解けませんでした。
完食後、その足で向かったのはお隣の『なつみ庵』さん。まもなく廃業されるという噂を聞いて、あの丼を食べ納めにと参りました。入り口脇には……
早速注文したのは夜のメニューで唯一の丼、「親子丼」です。
程よい半熟具合の卵、おまけで付いたデザートもおいしくいただきました。
聞けば「なつみ庵」の閉店後、新たにやってくる移住者の方が来年4月に「和食&イタリアン」の創作料理のお店をオープンされるとのこと。寂しくもあり楽しみでもあり。
満腹になったお腹をさすりつつ運転する車の中で、森山良子が歌った「今日の日はさようなら」を口ずさんでしまいました。ただ途中で歌詞が思い出せなくなったので、帰宅後すぐにYou tubeを検索。
いつまでも絶えることなく
友だちでいよう
明日の日を夢見て
希望の道を
友だちでいよう
明日の日を夢見て
希望の道を
空を飛ぶ鳥のように
自由に生きる
今日の日はさようなら
またあう日まで
自由に生きる
今日の日はさようなら
またあう日まで
信じあうよろこびを
大切にしよう
今日の日はさようなら
またあう日まで
またあう日まで
大切にしよう
今日の日はさようなら
またあう日まで
またあう日まで
聞き終わった後、自動的に流れてきたのはフォーク・クルセイダーズの
『イムジン河』
そして『悲しくてやりきれない』
そしてそして『帰ってきた酔っ払い』
やりきれなさの向こうに希望を、寂しさの向こうに喜びを見いだせる島作りを多様な人々と手を携え合って進めていければ幸いです。
本日もご馳走様でした。頂いた命に感謝・合掌。
敬具