拝啓
この秋、屋久島六角堂を訪ねてくれたかつての教え子みのりさんが『こころ』の聖地徘徊と鎌倉七福神巡りの案内役をして下さることに。

実は、『こころ』で“私“が“先生“と初めて出会う海岸は「鎌倉でも辺鄙な方角」としか記されておらず、

“私“がその数日前に訪れた由比ヶ浜から遠くない場所としか記されていないのです。

ただ、夏目漱石の年譜に寄れば……
1894(M27)年27歳、鎌倉の円覚寺で参禅、神経衰弱に
1897(M30)年頃、熊本の第五高等学校講師時代に夏を過ごすため材木座に滞在
1912(M45.T1)年45歳、家族も共に材木座紅ケ谷の「田山別荘」に滞在
1914年(大正3年)4月20日から8月11日まで、『朝日新聞』で「心 先生の遺書」を連載
1916(T5)年12月、49歳で死去
雑司ケ谷霊園に納骨
こうした漱石の経歴からすると、二人の出会いの場は材木座と考えるのが自然でしょうが……
他の場所は具体的な地名を記しながら肝心の出会いの場を材木座と明記しなかったのは何故か?
その理由は勉強不足で分かりませんが、個人的には「yuigahama」と比べて「zaimokuza」と言う音の響きが気に食わなかったのではなどと勝手な想像も。
で、その材木座の位置をGoogleさんに伺う際、ついでに「鎌倉 六角堂」と加えて入力するとヒット!

これは行かねばなるまいと大船を発進。
六角堂がある寺の名前は長勝寺。
AIさんの解説では…

その通り境内の真ん中に日蓮像。
それを囲む四天王が勇壮な佇まい。

その右手にひっそりと建っていたのが六角堂。

ただ扉は閉ざされ由来書きもなく、お堂に祀られている仏さんがどなたかも分からず。
そこで寺務所に足を運び訪ねると「六角堂は公開しておらず一般には説明もされていませんが、日蓮聖人の歯が納められております」との意外な事実。

神仏習合でしめ縄の張られた山門や立正安国と刻まれた鐘楼を見学。
その後は七福神巡り。
ただ七神全部は時間的に無理なので日本、インド、中国を代表する恵比寿、弁財天、布袋さんを詣でることに。
案外知られていないようですが、七福神は日本・インド・中国の3カ国出身の神仏が融合した存在。

日本国籍は恵比寿さんのみ。
大黒天・毘沙門天・弁財天はインド由来の仏教神。
寿老人・福禄寿・布袋は中国由来の道教・禅僧です。
これらが室町時代に「宝船」に乗る姿で集められ、日本独自の信仰に。
偏狭なナショナリストや中国やインドからの移民排斥を声高に叫ぶポピュリストは「恵比寿さん以外の六神は自分の国に帰れ」と非難するのでしょうか?
などと余計な思いを巡らしつつ、まずは恵比寿さんへ。

夷(ゑびす)尊堂がある本覚寺さんは材木座と鶴岡八幡宮の中間あたり。

もっこりした特徴的な形態の屋根のお堂の奥に夷さん。
撮った写真を拡大すれば多くの恵比寿さんと違って鯛も抱えず釣竿も持たぬお姿。
由比ヶ浜にでも置き忘れてこられたか?
これも案外知られていないようですが、ゑびすさんは二系統。
一つは蛭子神(ヒルコノカミ)系。
国生みの夫婦イザナギとイザナミの最初の子は奇形児(障害児)だったため葦の舟に乗せられて海に流され西宮に。
それで漂着した蛭子(ゑびす)神を祀る系統の総本社は兵庫県西宮市に。
もう一つは大国主神(オオクニヌシ)の子ども事代主神(コトシロヌシ)を祀る系統で、総本社は鳥取県松江市の美保神社。
鎌倉の夷さんがどちら系なのかは確認し忘れました。
その次向かった弁天さんはインド時代にはサラスヴァティーと呼ばれたヒンドゥー教の女神。

仏教に取り入れられ、日本で神仏習合して音楽、学問、財福の神さんに。
元々は水をつかさどる女神さんだったため海辺や池の端に祀られることしばしば。
鎌倉には有名な弁天さんが3か所に。
今回は鶴岡八幡宮の入口の池のほとりにある旗上弁財天社の弁天さんにお詣り。

残念ながらお堂の扉は閉ざされていてお姿は拝見できず。

軒下には琵琶を抱えた弁天さんの絵。
お堂の中にはさぞかし妖艶なお姿がありやなしやと。
池の蓮の花が咲きそろう頃にお詣りされた方は幸いです。

本堂の裏に散策路があり、その断崖の洞窟にいらっしゃいました。

その布袋さんの背後の岩に掘られた穴には優しげな仏様が。
寺務所の方に伺えば観音様だそうですが、何観音なのか由来は分からないとのことでした。
日-印-中の七福三神を巡って……

大きな境内にはいくつもの塔頭。

漱石が寄宿した帰源院の山門は工事中で一般公開されておりませんでした。
この鎌倉徘徊中、ランチを頂いたのは環境自然地元大切系カフェ COBAKABAさん。
味噌汁が自慢とのことなのでどこの味噌かとうかがえば、実家のある鹿児島産の麦味噌だとのこと。

焼鯖定食を頂きましたが、面構えのよい尾頭付きで美味しゅうございました。
しばしそこで休憩談話する中、みのりさんが何度もの引っ越しを経ながら手元に残した25年前の遺物を見せて下さいました。

2001年3月17日発行の中学3年1組『学級通信 96枚目の手紙』。
彼女たちの卒業の日に手渡した私からの手紙です。
秋に来島してくれた20年ぶりの再会の折、話そびれ聞きそびれた話などを交わし、最後に向かったのが由比ヶ浜。

まもなく入籍、結婚生活を始められるご夫婦に幸多かれと願うばかり。

33年間、生徒や保護者の方々と関わりを持つ中で今どうしているのか、生きているのかと気になる面影がいくつも。

いつの日にかの再会をと別れたMさんと共に、当時カメラ部の顧問をしていて作ったピンホールカメラに名付けたEさんの消息も気に掛けつつ……走った先は伊豆を縦走。
漱石ゆかりの修善寺温泉を抜けた先、『道の駅 天城越え』で車中泊する事に。

次回は川端康成と松本清張が短編小説の舞台にした旧天城トンネルを抜けて下田へ、そこから半島を半周する徘徊に。
続く