拝啓
屋久島を出る時から鎌倉に立ち寄ることは決めておりましたが、京都まで来たところで二十年程前、現代文の授業で『こころ』を文庫本一冊丸ごと使った授業をしていたことを思い出し、記憶を確認するために大垣書店で文庫本を購入。

『門』は鎌倉が舞台の作品、『道草』は先日映画『道草キッチン』を鑑賞したので併せて。
文庫本を開いて確認すれば、やはり先生”と“私”の出会いの場は鎌倉の由比ヶ浜。

そこで北からの復路、12月15日に埼玉県川口市駅前を出てから12月16日の夕暮れまで、東京雑司ケ谷→千葉小湊→神奈川鎌倉と、夏目漱石の『こころ』の舞台を徘徊となった次第。
”先生”と“私“が東京で最初に再会するのが雑司ケ谷霊園。

そこは“先生”の『秘密』の暗示がされる場でもあリました。

そこでは“先生”の親戚の墓はないとされていますが、夏目家の墓はあり漱石も葬られています。

行って知ったことですが、今放映中のNHK朝ドラのモデル小泉八雲とその妻セツの墓も雑司ケ谷霊園にあり、案内板には八雲の墓の案内掲示が貼られ、墓には新しい献花が供えてありました。

雑司ケ谷を後にし、房総半島南端の小湊まで最短距離のアクアラインで東京湾中央を横断。

アクアライン初体験。

海ほたるパーキングエリアからはスカイツリーや富士山、そしてこれから向かう房総半島の眺望が。
房総半島上陸?後、半島横断。
半島南下して辿り着いた小湊は“先生”と“K”が徒歩旅行で立ち寄った場所。

鯛ノ浦で鯛を眺め、誕生寺で日蓮宗の僧侶に教えを請う”K“。

そのあくる晩、やがて“K”と“先生”を自殺に向かわせるキーワード「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」が最初に発せられます。
そもそもイニシャルKのモデルは誰なのか?
幸徳秋水、石川啄木、清沢満之らの名が挙がっており、漱石の本名「金之助」のKとする説もありますが「K」が真宗の坊さんの子であるという設定を素直にたどれば清沢満之説に惹かれます。
その節の論文にご興味があればこちらで。
藤井淳 ―百年の謎を解く(三)― 駒澤大学佛教学部紀要
漱石は清沢満之の思想、“精神デルとしてK を描いたことを論証する。
世に、福沢諭吉の『人事を尽くして 天命を待つ』という言葉が知られていますが、
真宗僧侶の清沢満之は『天命に安んじて 人事を尽くす』と発しました。
これは「ありのままの自分を受け入れ、最善を尽くす」というもの。
ありのままの自分、すなわち悩みや不安を断ち切れずそれに惑わされる自分というものに気づき、そんな自分を導いて下さる大きなはからい、すなわち天命=他力に任せ、最善を尽くそうという意味だとか。

一方、夏目漱石によって残された言葉に『則天去私』があります。
則天去私とは天に則り私を去ること。
天に従って私を捨て去って、より高い境地に到達するということであり、私利私欲を捨てて自然の大きな流れに身を任せ自然の中で物を見極めようとすることなのだとか。
何やら通じるものを感じてしまいます。
誕生寺の参拝後、東京湾フェリーの房総半島側乗船場に向かう道中、屋久島のsonglinesさんにお薦めされた中村屋さんでロシアンケーキをお土産に購入。

ちょうど日が沈んだところで富津市金谷港に到着。


淡い富士山が少しくセンチメンタルな気分に。

乗船後すぐ出港。

夕闇に沈む富士山のシルエットと対岸の横須賀の明かりを楽しむ船旅をしばし。

同じ東京湾横断でもでもフェリーの旅はアクアラインの10倍情緒たっぷり。

久里浜港下船後、港の海の湯でさっぱりし、

明くる16日はマドンナと共に鎌倉巡りです。
続く