屋久島六角堂便り~手紙

自然と人が織りなす屋久島の多様性を屋久島六角堂から折々にお伝えします

屋久島 Pork Song 第2回 パイナップルと悲しい玩具 万福

拝啓

 

今夜はどこかで豚を食べよう、と最初に思い付いたのは安房の「かもがわ」さんですが、日曜は定休日。

そこで向かったのは、やはり安房の「万福」さん。

店頭のメニューボードには、今まで気付かなかった表示が。

コース料理があったとは。

そのど真ん中に「酢ぶた」が鎮座ましましていらっしゃいました。

でも4名様以上、しかも予約制。

そこでカウンター席に座ってメニューで酢豚を確認しつつ、

はてさて……

ビールの当てにするわけではないので「酢ぶた」だけ頂くのはどうも。

ならば小ライスと一緒に、否。

ここはやはり私的定番の「かた焼きそば」と一緒に……でもちょっと予算が。

と逡巡しつつも、

明日はコテージのお客様がチェックインされるので良しとしよう!と決定。

 

待つことしばし、

モリモリアツアツの酢豚登場。

いつもながらの見事なボリューム感。

そして、

おまけのチャーシュー添えかた焼きそばも。

 

ダブルあんかけでくどくないのか?

と訝られる方もいらっしゃるかもしれませんが、

大丈夫なのが万福さんの味付け。

 

酢ぶたの肉のムッチリ感と、

かた焼きそばのパリパリ感を交互に楽しみながらしっかり完食。

いつもながらご馳走様でした。

 

一番乗りで空席の目立った店内も、

食べ終わるころには外国人観光客の団体さんでほぼ満席。

何を注文されるのか伺っていると「鶏のから揚げ」を幾つも。

分かりやすいんでしょうね、きっと。

 

と、お会計に立とうとすると店の奥に、

今まで気付かなかった一葉の絵画が目に留まりました。

女将さんに由来を問えば、

「知り合いで屋久島に住んでる方が、思い付きで描いた絵を頂いた」なのだそう。

サインを見てもどんな方か想像つかぬまま。

ただ、それ以上立ち入ったことを聞くのも何なので、そのまま退店。

でも気になる。

 

誠実なご夫婦のお店が末永く繁盛なさいますように。

 

と、願いつつ頭の隅に何かが引っかかったまま六角堂に帰着。

絵の作者もそうですが、そうではない何かが。

一晩寝て思い付いたのが「酢豚にパイナップルが入っていなかった」。

 

「パイナップル入りの酢ぶたなんぞは邪道!」

と誰かが言っていたのを聞いたことがありましたが、

子供の頃に母親が作る酢豚には必ずパイナップルが入っておりました。

 

そこでネットで「酢豚 パイナップル」と検索すると、ありました。

「なぜ酢豚にパイナップル!?中国4千年?の歴史とパイナップルのヒミツ」 | ハッピ | Happy Recipe(ヤマサ醤油のレシピサイト) (yamasa.com)

そこにはこんな記述が。

時は遡ること400年前。
中国が「清」の時代だったころ。
日本は 徳川家康征夷大将軍に任じられ、江戸に幕府を開いたころです。
パイナップルの入った酢豚は中国で生まれました。
中国での料理名は「菠蘿古老肉」(ボールオグーラオロウ)。

 

パイナップル入りは異端ではなく正統だったのだと得心。

 

更に「パイナップル」にまつわるフォークソングはあったかしらんと検索を続けてみたものの、

ピンとくるものはなし。

そんな中で再会したのがアリスの『狂った果実

1980年  作詞:谷村新司、作曲:堀内孝雄

 

ひとしきり肩濡らした 冬の雨
泥をはねて 行き過ぎる車
追いかけて喧嘩でもしてみたら
少しぐらい心もまぎれる

狂った果実には 青空は似合わない
家を出た あの時の 母のふるえる声は
今でも耳に響いてる 低く高く

ポケットで 折れていた ハイライト
おかしくて 吸う気にも なれず
かじりかけの林檎をただ 思いっきり
投げつける 都会の闇に

許してくれなんて 言えない 今の俺には
ナイフ捨てたこの手で 回す ダイヤルの音
せめて もう一度 きざみたい 声がある

産まれて来た事を 悔やんでないけれど
幸せに暮らすに 時代が冷たすぎた
中途半端でなけりゃ 生きられない それが今

狂った果実にも 見る夢はあるけれど
どうせ 絵空事なら いっそ黙ってしまおう
せめて この胸が裂けるまで Silence Is Truth!

www.youtube.com

狂った果実」リンゴでした。

 

ただ、この曲はあまり耳に馴染みませんでした。

しかし同じ1980年に谷村新司がソロで歌った『昴』は今も耳に残ります。

作詞・作曲:谷村新司

目を閉じて 何も見えず 哀しくて目を開ければ
荒野に向かう道より 他に見えるものはなし
嗚ゝ 砕け散る宿命(さだめ)の星たちよ
せめて密やかに この身を照せよ

我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ

呼吸(いき)をすれば胸の中 こがらしは吠(な)き続ける
されど我が胸は熱く 夢を追い続けるなり
嗚ゝ さんざめく 名も無き星たちよ
せめて鮮やかに その身を終われよ

我も行く 心の命ずるままに
我も行く さらば昴よ

嗚ゝ いつの日か誰かがこの道を
嗚ゝ いつの日か誰かがこの道を
我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ
我は行く さらば昴よ

谷村新司 昴〈すばる〉 歌詞&動画視聴 - 歌ネット

 

実はこの『昴』の歌詞、

石川啄木のパクリじゃないかという説を唱える方が其処此処に。

谷村新司の「昴」の歌詞はオリジナルではなく、啄木の悲しき玩具から借用!? (skawa68.com)

「これに対して谷村は『大学時代に石川啄木を読みました。読んだと言うより食べました。そしてその時食べた糧が、曲や詩となって出てくるのです。それが私の心の中の啄木です。」と述べている」とのこと。

昴 (谷村新司の曲) - Wikipedia

 

私も啄木の歌を愛唱していた時期があり、

六角堂には石川啄木『悲しき玩具 初版復刻版』があります。

その最初の四首。

そして次の四首。

五首目の「玩具の機関車」が歌集のタイトルとつながっているようですが、

そもそも『悲しき玩具』は啄木の没後、友人の土岐哀果と若山牧水によって刊行された第二歌集で、題名は哀果によるもの。

 

その歌集の一首目と二首目のフレーズが『昴』のネタだというのです。

呼吸(いき)すれば、
胸の中(うち)にて鳴る音あり。
凩(こがらし)よりもさびしきその音!

 

眼閉づれど、
心にうかぶ何もなし。
さびしくも、また、眼をあけるかな。

 

ただ、ここで私の目に留まったのは四首目。

咽喉がかわき、
まだ起きてゐる果物屋を探しに行きぬ。
秋の夜ふけに。

 

啄木がのどの渇きを抑えるために求めた果物がパイナップルだったは思いませんが、

思いがけぬ連鎖「酢豚→パイナップル→果実(アリス)→谷村新司(昴)→石川啄木(悲しき玩具)」にブヒブヒ。

 

こんな風に豚と歌とを味わっていると、あっという間に時が過ぎてゆきます。

 

『昴』作曲時には「プレアデス星人」と交信していた谷村新司1948年大阪府河内長野市生まれ

74歳にして上海音楽学院常任教授。

かつてのフォークシンガーの老後は様々です。

 

自分は自分なりの老いを楽しむべく、近日中に「かもがわ」さんで豚を頂こうと。

 

敬具