拝啓
島は清々しい秋晴れですが、町長選挙後もあれこれ燻って何やら不穏な空気も。
それはさておき、前回の続編。
尾之間の「カフェ木霊」で新カフェオープンの話を聴いて、栗生へ一路。
栗生橋を渡り、青少年旅行村に向かう途中……ありました。
まだ看板は出ていませんでしたが、まっいいかと車を止めてこんにちは。すると、女性の方が出迎えて下さり、尋ねたいきさつをお話しすると「まだ内装ができていないんですがよければ」と店内に。
この夏、愛知県から移住してお盆過ぎにはオープンするつもりだったのが、工事の遅れで引き渡しが10月末になったとか。六角堂のことはHPで知って下さっていて、島のバリアフリーについてあれこれ。
Openは11月中、店名は「ラ・ポント」エスペラントで橋の意味。島でいろんな懸け橋になるお店に育てたいご様子。オープンが楽しみです。以前飲食のお仕事もされていたそうで、バリアフリーのお店にしたかったかったとのこと。
公共施設にしか目が向けられていませんが、個人事業主の取り組みへの助成や指導などをすることが、高齢化が進む住民への対応や障害を持った観光客受け入れへの重要課題だと認識してほしいもの。「出す」公共トイレをいかにバリアフリーにしても、「入れる」飲食店の敷居が高くては多様な方々を受け容れることはできません。
などと希望と憂鬱、ないまぜになりながら、車を西に進め、
「第1条 青少年が良好な自然に接触し、豊かな情操をはぐくむとともに、健全な戸外レクリエーション活動を通じて、心身の健全な育成を図り、規律ある生活や協調の精神を体得するため、屋久島町屋久島青少年旅行村を設置する。」
と定められた青少年旅行村の敷地内の一角、
「第1条 屋久島町における農林水産業の振興を図るとともに、地場産品の研究開発、農林水産物加工技術の習得及び連帯意識の高揚を図り、町民所得の向上と地域の活性化を目指すため、屋久島町栗生ふれあい加工センターを設置する。」
と定められた栗生加工センターに。
中では忙しく作業をされていらっしゃる方もいられる様子。
ただ、地元の方に伺えば、加工品の多くはタンカンで、栗生漁協が間近にあるにもかかわらず、水産物の加工をやっているとは聞かないとのこと。
島内他所の加工センターもそうですが、「地場産品の研究開発」は、鹿児島はもとより全国各地の先達や、国や県や大学の研究機関などの技術者から指導・助言を仰ぐことが不可欠。それなくして、加工センターがタンカンジュース製造所から脱皮することは難しいかと。
町がなすべきは建物を建てることではなく、現存施設の機能強化こそが課題。
屋久島町第二次振興策では、次のような課題と目標が掲げられていますが、
目標の建て方に疑問。
それは漁業も同じ。栗生の漁港にも立ち寄りましたが、漁協が設置、管理する休憩所は雑草だらけ。多分整備する人手がないのでしょうが、こうした光景が島民の心を一層荒ませていくのではないかと。
その一方で、35年ほど前に廃校となった栗生中学校の跡地で、町の誘致企業として創業して30数年の株式会社ワイケーエス屋久島工場、地元では「ソーイングさん」と親しまれている工場では多数の中国人やベトナム人の方が元気に働いているご様子。
屋久島町第二次振興策
[町の魅力を引き出し、働き甲斐をつくる]47pでは、外国人をお金を落としてくれる観光客としてしかとらえていません。
しかし、島内には何十年も前から、観光も含めて様々な働きをして下さっている外国人移住者の方が多数いらっしゃいます。
それにまったく目を向けず、金を落としてくれる相手としてしか外国人を見ていない町役場の姿勢はあまりにも時代錯誤。
また[出生から老後まで安心して暮らせる仕組みをつくる]32pでは
外国人は日本人の代替え品のような扱い。
[町の魅力を引き出し、働き甲斐をつくる]44pの
「課題 消費者のニーズに即した販売方法・戦略への対応の必要性」に対し「方針 ……人材不足、後継者不足に対応するため……外国人労働者の受け入れに取り組む」と触れられていますが、その「目標」はなし。
「不足を補う」のではなく、様々な経験や技能や感性によって島を変革してくれる貴重な労働力として、あるいは様々な文化の波及・発信者として外国人(広い身での移住者)の受け入れを積極的に図ることこそが「わたしたちのまちの未来」を切り拓くことになるのだと。
次回に続く