屋久島六角堂便り~手紙

自然と人が織りなす屋久島の多様性を屋久島六角堂から折々にお伝えします

屋久島あいすくるりん 第5回 タンカンの甘味苦みや一塩に

拝啓
 
前回に続き、今回も宮之浦。テイクアウトのアイスクリームとかき氷のご案内。
まずは昨夏からかき氷を始めている屋久島高校向かいの「椿商店」さん。
イメージ 2入り口の右手にはテイクアウトカフェの受け渡し口。
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今回は店内に入ってメニューに目を凝らし、
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椿商店らしさ一押しのかき氷「黒蜜タンカンショウガ」を注文。
シャリシャリ音を聞きながら店内をくるりんすれば
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ドネーションのお知らせに自然食品や雑貨、屋久島の特産品を扱う椿商店さんのスタンスやポリシーが伝わってきます。
そして登場したかき氷も
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しっかりとしたタンカンピールの酸味と甘みにショウガのヒリリが爽やかな、これぞ大人のかき氷。
ひと匙ごとにお店の目指す今と未来を堪能しました。
椿商店さんの情報はホームページやFacebook
 
そして二軒目は、宮之浦港から志戸子に向って数分の「Mam's Kitchen 屋久島まむずきっちん」さん。
 
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永田の塩クッキーで名を馳せるMam's Kitchenさん。
扉を開けると目の前にMENUが。
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今回は「タンカンマーマレード&塩クッキー載せソフトクリーム」を頂くことに。
店内奥の調理場でクッキー作りにいそしむママさんたちの姿を眺めて待つことしばし、亀形クッキーが波間から躍り上がるようなアイスが登場。
店先のイートインコーナーで頂くことに。
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上から見るとタンカンマーマレードがコンモリギッシリなのがよくわかります。
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程よい苦みのタンカン風味はいかにも島の味わいですが、戸惑ったのはソフトクリームがソフトではなくハードだったこと。
どうやらソフトクリームと表示されてはいるものの、メニューにあった「固めのバニラアイスクリーム」にタンカンマーマレードが載っている様子。
こっつりこっつりツッツキながら頂きました。
 
マムズキッチンさんと言えば何年か前にハンバーガーを頂いたことが。
そして10年ほど前には永田のお宿「つわのや」さんで珈琲を頂いたことが。
どんな経緯を辿られたのかとネットで屋久島まむずきっちん クッキースタジオ」を開いてみれば「まむずニュース2018」に次の記述が。
まむずきっちんがオープンしてから11年目を迎えました……この頃は宿泊施設の売店の一部を 塩クッキー専用工場として使っていました とても狭い部屋で朝から夜遅くまで作っていました……」

そんなマムズキッチンさんも今や本社を鹿児島県の霧島市に置く株式会社SBL(エスビーエル)に。

11年前と言えば屋久町と屋久町が合併した年。
ちょうどそのころ屋久島への移住を考え始めて年に数回島を訪れ、マムズキッチンさんの入っていた「つわのや」さんにも立ち寄ったことがありました。
 
Googlで「つわのや ヤマハリゾート 屋久島」などと検索するとTakemaの「あっちこっち旅日記」のヤマハリゾート つわのや 今はなき超高級リゾートの栄枯盛衰』というページが引っ掛かります。
そこには屋久島の郵便局で働いていらっしゃった方の「コラム屋久島」や「屋久島青春日記」の引用が次のように紹介されています。
 
昭和40年代後半から50年代の前半にかけて離島ブームというものがあり、ヤマハはこれを先取りする形で屋久島、トカラ列島諏訪之瀬島、三島村の硫黄島八重山諸島小浜島などに相次いで「ヤマハリゾート」という、超豪華リゾート施設をつくりました。
このうち、諏訪之瀬島硫黄島(いずれも屋久島の近く)には専用の空港までつくりました。当時は円が安く、海外旅行は高嶺の花だったので離島観光がその代役を果たしていたような感じでした。
しかし、その後、円高になって海外旅行が身近なものになり、残念ながらヤマハの目論見は外れ、沖縄の「はいむるぶし」という施設以外は閉鎖、撤退してしまいました。
ただ、屋久島の永田にあった石蕗舎は他の業者に売却され「つわのや」という名前で今も営業しているということです。
 
Wikipediaヤマハリゾート」を検索すると、屋久島・三島・トカラに関する次の記述が。
 
石蕗舎(石蕗の舎=つわのや=、鹿児島県屋久島)
1972年開業、1982年閉鎖。後に売却され、つわのやとして営業をしている。

・旅荘足摺(鹿児島県薩摩硫黄島
1974年開業、1982年閉鎖。離れの客室や送迎用に薩摩硫黄島飛行場を併設するなど高級指向がうかがえる。1994年以降、飛行場は三島村に移管され、2014年8月より新日本航空による定期空路が開設されている。建物は1996年に解体[3]され、更地となっている。薩摩硫黄島平家物語に登場する鬼界ヶ島と推定されている島のひとつで、ホテル名は平家物語の巻三にある「足摺」の章に由来する。
・旅荘吐火羅(2014年)
旅荘吐火羅(とから、鹿児島県諏訪之瀬島
1977年開業、1982年閉鎖。送迎用に諏訪之瀬島飛行場を併設。建物は廃墟状態で現存し、滑走路は十島村営の場外離着陸場として存続している。ホテル名は日本書紀の吐火羅国に由来する。
 
マムズキッチン発祥の地である「つわのや」さんの歴史からは屋久島というより日本の観光開発の歴史や教訓を学ぶことができるかと。
それ先の国会で成立したカジノ法」=統合型リゾート(IR)整備推進法の行く末を照らし出してくれるかもしれません。
 
たかがアイス、されどアイスの一席、長々とお付き合いくださり、誠にありがとうございました。
 
敬具
 

屋久島あいすくるりんインデックス
 
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