屋久島六角堂便り~手紙

自然と人が織りなす屋久島の多様性を屋久島六角堂から折々にお伝えします

美しき姫の罪こそ我にあれ

拝啓

2016年4月22日は旧暦3月16日の望月。屋久島麦生では月の出の頃、水平線上に厚い雲が掛っていましたが、

夜7時過ぎには月が姿を現し、海は銀色に

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いつものように愛用のNikonD80にTAMRONの28-300mmレンズを付けて撮影

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今夜もウサギがせっせと餅をついているようですが、月の模様は人によって時代によって違って見えるもの。NAVERさんのページhttp://matome.naver.jp/odai/2134918458076800301に紹介されている例を知るだけで楽しいものです。

さて、月と言えばかぐや姫。六角堂イートハーブの蔵書紹介(http://blogs.yahoo.co.jp/honeycomcabin/14384871.html)でご案内した「歴史新書Y006 かぐや姫と王権神話 『竹取物語』・天皇・火山神話」(著:保立道久著・発行:洋泉社2010年初版)で語られる『竹取物語』のルーツや背景が面白い。

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鹿児島の原住民「隼人(はやと)」にまつわる竹の歴史が紐解かれ、屋久でなじみ深い子安貝(タカラガイ科、屋久島方言でウマンコ!)の逸話が語られ……

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かぐや姫が月に帰る直前、不老不死の薬を贈ったエピソードの原型は、中国で古くから信仰された仙女西王母 (https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E7%8E%8B%E6%AF%8D)の伝説だとか……

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西王母は不死の実のなる桃の木を管理する月神、ウサギに不死の薬を搗かせたそうな

かように同じものでも見る者や時代によって見方は変わるもの。ちなみに最近の学説では46億年ほど前に小さな惑星が地球にぶつかり、飛び散った地球の破片から月ができた(http://kids.gakken.co.jp/kagaku/110ban/text/1082.html)とされています。いわば月は地球の分身。その月を人が何やら懐かしく思うのは面白いものです。

そんな満月を撮影しつつ、NHKオンデマンド「コズミック フロント☆NEXT 宇宙の古代都市 球状星団のミステリー」(https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2016068535SC000/index.html)を見ていると、私の今が問われてきます。

140億年と言われる宇宙の中の46億年の地球の歴史。地球カレンダー(http://www.ne.jp/asahi/21st/web/earthcalender.htm)に照らして40億年の地球生命、2億年の哺乳類、そして20万年のホモ・サピエンスの歴史の中の鹿児島県熊毛郡屋久島町麦生でパソコンに向かう私の昨日と今日と明日。

満月と何の関係があるのかといぶかる方もいらっしゃるかもしれませんが、地震が起きて一週間後の今日も震度4の地震が続いている熊本の震災にまつわるあれこれへの思い煩い。稼働中の川内原発についての賛否もそうですが、義捐金や支援金に関するネット上での書き込みにひどく疲れを感じます。

支援活動をする自衛隊への賛美の一方、赤十字や企業の活動に対する批判。落ち着いて社会の構造を見つめることの必要を感じます。

自衛隊の活躍やアメリカ軍の協力は有り難いですが、そもそも災害救助のために何百億円もかけて自衛艦オスプレイが作られているわけではなく、ましてやそのために安全保障条約が結ばれたのではありません。

一方、赤十字等の組織が募金の一部を運営費として受け取らなければどうやって緊急事態に即応し、日々の暮らしを陰で支える組織を維持できるのでしょう。そこで日々活動する人の暮らしが成り立てばこその支援活動です。

企業や著名人の支援活動を売名行為と呼ぶのはたやすいですが、支援もせずに地震によって揺れ動く株価や為替相場に心を奪われている人々よりずっとましです。支援する人や会社の懐具合や意図をうんちくするのではなく、困っている人の役に立っているかを評価すべきでしょう。

かぐや姫が地球の竹やぶに降り立ったわけを月の王が、翁にこう語っています

かぐや姫は、罪をつくり給へりければ、かくいやしきおのれがもとに、
しばし、おはしつるなり。罪の限り果てぬれば、かく迎ふる

かぐや姫は月で犯した罪を償うために、けがれに満ちたいやしい人々の住む地球に流され、服役期間が済んだので清浄な月にもどされるのだ」というわけです。

ところが面白いことに、かぐや姫は月の世界に帰ることをためらっていました。

かの都(月)の人は、いと清らに老いをせずなん。思ふ事もなく侍るなり。
さる所へまからんずるも、いみじくもはべらず

「月の世界は清らすぎて時間も経たない永遠の世界。月の人間には地球人のような感情もない。そんなところに帰るのが嬉しいわけがない」と養父母に告白するのです。

様々な欲望や嘘や憎しみにまみれ、病や死への不安におびえる人間界に共感するかぐや姫。そのかぐや姫の残した不老不死の薬と羽衣を受け取ることを拒んだ養父母。差し出されたそれらを富士山の火口で焼き捨てさせた帝。

あからさまな悪意や敵意、勝手な正義感による言葉の暴力。それも人の性(さが)である限り、自分の中にも同じものが宿っている。そんな自分の浅ましさや小ささを自覚しつつ、己の欲望に流されず、他者への無関心や無感動に引きこもらずに生きていけるのか。

清浄なものになろうとする努力よりも、人として生きる限りぬぐいきれない人間の悪(他の命を犠牲にしてしか生きられない、欲を捨ててしまっては生きられない命の罪深さ)をひっ抱えつつ、隣り合う地球の人々やあらゆる命と共に「今ここで」どう生きていくのか、それが私の問題です。

長々と駄弁を弄して、誠に申し訳ございませんでした。

敬具