屋久島六角堂便り~手紙

自然と人が織りなす屋久島の多様性を屋久島六角堂から折々にお伝えします

人生の波高き程 いや楽し

拝啓
 
平内民具倉庫で霊屋と出会った話の続きです。
 
平内から車で数分も走れば湯泊。
その県道脇に共同墓地があります。
話に聴いた霊屋の名残とはどんなものかと探してみると、なるほど。
二通りの「名残り」を見つけることができました。
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生活が変わっても、昔ながらの風習をどこかに残したいという人の願いが形に表れています。
 
湯泊を後にして走ること十数分で栗生(https://www.env.go.jp/park/yakushima/ywhcc/ecotour/map_kurio.pdf)に。
集落を過ぎた栗生川のたもとにあった看板を頼りに、栗生中学校の跡地の脇にある共同墓地へ。
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文化財の墓地」がどれかわからず、通りがかりのご老人に声を掛けると気安く墓地の中を案内して下さいました。
「山川石(http://yamagawa-minato.com/midokoro.html)を使った屋根付の墓石は江戸後期のものが多く、位の高い人の墓」
 
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一方、「サンゴを墓石代わりにした墓は、そんなに古い墓ではなくお金がない人の墓」というのがご老人の説明でした。
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そして、土葬をする前に霊屋を置いて弔った場所というのを教えて下さいました。
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ただし、石台の上に霊屋を置くのは法華宗だけで、真宗門徒は置かなかったそうです。どんないきさつがあったかわかりませんが、「わんぱくでもいい たくましく育て 屋久島の子」という石碑が上に乗っかっているのには首を捻りました。
 
そんな墓めぐりを終えた帰途、中間(なかま)の海岸では波浪警報をものともせぬサーファーを見かけました。
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人の一生は線香花火のようなもの、大いに楽しむべし。
などと感慨にふけりつつ、今夜六角堂にご滞在になるお客様のチェックインに間に合うよう、吹き付ける強風を突っ切りながら車を走らせました。
 
敬具