屋久島六角堂便り~手紙

自然と人が織りなす屋久島の多様性を屋久島六角堂から折々にお伝えします

どうどうと嵐吹く夜はつれづれに

拝啓
 
台風18号により波浪警報と強風注意報が発令され、屋久島空港のデータでは夜8時過ぎに最大瞬間風速24.7mを記録している屋久島です。六角堂の周りの樹々はザンワザンワと樹冠を揺らし、ドードドードと海鳴りが響いています。が、六角堂の母屋の玄関口は、網戸のまま。軒下でたばこが吸えるほどの穏やかさです。両川沿いの木々が防風林の役割を果たしている上、2年半掛けて建物の構造や立地を考えた成果なり、と自画自賛する嵐の夜です。
 
さて、遡ること12時間前。明日の六角堂のカフェのイートハーブの休業を決め兼ねていた午前9時前に停電。八月の苦い経験があるため素直に休業を決定。それならばと「平内民具倉庫一般公開」に出向きました。
 
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倉庫の扉を開けると案内の黒鳶(京都から屋久島に移住された画家)さんが笑顔で迎えて下さいました。撮影の許可を得たのでその一端を紹介いたします。
 
最初に目についたのが脱穀機
 
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次は「魚鉢」という魚の保存製造具
 
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弁当箱
 
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こえたんご
 
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そして倉庫内を巡る最終コーナーで、オッと目を引いたのが「霊屋」です。
 
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黒鳶さんに聞けば、ドラマチックないきさつでこの倉庫に保存されている、いわくつきの一品。そもそも霊屋(魂屋・たまや)とは、葬送後の遺体を安置するために造られた建物のことで、古くは日本書紀に殯宮(もがりのみや)、あるいは喪屋(もや)と書かれているものと同類です。また、葬送の前にしばらく遺骸を納めておく「たまどの」や、墓の上におく屋形を霊屋と言います。
 
屋久島で土葬がなされていた頃は、霊屋を作って弔うのが一般的だったそうですが、側面に船の図柄と「先島丸」という文字が書かれた霊屋は、屋久島の中でも宮之浦と楠川特有のものだとか。
 
火葬になってからは霊屋を作る風習は廃れたそうですが、それでも湯泊の共同墓地にはその名残があるとのこと。また栗生の共同墓地は文化財に指定されていて、墓石を建てずにサンゴの墓標が残されているとのこと。
 
ことはついでと、早速車を西に向けて走らせました。
 
(つづく)